鯛ノ浦の神秘
千葉県鴨川の鯛ノ浦を一望できるホテルの部屋から夕陽を眺めて過ごした。青空にオレンジ色に色づく綿のような雲が扇状に広がる光景は
神秘を思わずにいられない。
800年前、この地に生まれた少年は日々この景色に親しみ
ごく自然に神仏の面影を重ね、信頼を深くしていったのだろう。
都会の煩雑の中に育つ少年とは想念のでき方が違う。
その時代、鎌倉の世は天変地異が多く、干ばつ、飢饉、疫病が蔓延し、
人心はすっかり疲弊して、すがるべき心の支えをとにかく欲しがった。
これに呼応して新しい仏教宗派が次々に起こって、浄土宗、臨済宗、
浄土真宗、曹洞宗、そして日蓮宗と時宗の六宗が出揃うという
特異な時代だった。
少年は後の日蓮さんで、比叡山で真理を追究して法華経なら窮民を
救えると確信して布教を始めるが、これこそ「本物だ!」と強弁して
他の宗派を邪教呼ばわりしたため、行く先々で敵をつくり、
命まで狙われた。
その度に不思議な神通力を発揮して難を逃れ、それが人々の間で
神話となっていった。
雨乞いの祈りで畑を生き返らせたり、蒙古襲来や鎌倉幕府の内乱を
予言したりして更に神格化してゆき、自らの名を冠して日蓮宗とし、
釈迦の高弟の生まれ変わりだとも言い出した。
日蓮聖人は61年の生涯を終えるが、信者は増えてゆき室町時代には
京都の庶民の七割が日蓮宗を信仰したと云うくらいの一大勢力になった。
日蓮さんが生まれた時に産湯の水が湧き出したり、蓮の花が咲き出したり、鯛の群れが現われて水面を波立たせたり、と幾つも奇跡の言い伝えがある。
鯛ノ浦で、船べりを叩くと鯛が寄ってくるというので
遊覧船に乗ってみたが、実際には撒き餌をしていた。
大きなヒラマサが大騒ぎして、おこぼれにあづかるように
小さい鯛がほんの申し訳程度、姿を見せただけだった。