パルプフィクション
パルプフィクションという映画の手法がその後の映画に
強く影響したというコメントを目にして、
早速DVDを借りにツタヤに行った。
いくつかの棚を探したが見つからず、
そばを通った可愛らしい女性店員さんに助けを求めた。
ほとんど一瞬で見つけてくれた。
「このアクションのコーナーにありました」と言い、
私を見て更に言った。「ちょっとバイオレンスがキツイですが・・・」
これに応えて「ああ大丈夫、大丈夫」とにこやかにDVDを受け取った。
こんな品の良い穏やかそうなおじいさんが観る映画ではないと
思ってくれたと勝手に喜んだ。
映画は殺し屋が主人公だから怒号、銃撃、恐怖で画面は
血しぶきにまみれた。
日常の善悪の観念のレベルをグッと下げて観ていると喜劇になってくる。
タランティーノという監督の沈潜した人間観と
死や恐怖をブラックユーモアで包み込む才能を楽しんだ。
主人公は銃を向けて、撃ち殺す相手に向かって
旧約聖書エゼキエルの一節を暗唱する。
きっと非情な殺し屋稼業をしているが、一片の悔恨を思わせる。
何度かその場面があるが、聖書のお堅い言葉で字幕の意味が読み取れない。
そこで神さま的な修飾なしの文にしてみた。
「悪い奴らは正しい者の行く手を阻む。
迷う者、弱い者の災難を守る者を祝福する。
悪い奴らには十分償わせる。
そいつらが苦しんでいる時は必ずそこに
神がいることを知るがいい」
面白いのは、この一節、千葉真一の映画「ボディガード牙」の序文を
そのまま、オマージュとして流用しているところで、
他にも日本刀で戦うシーンなど、監督の日本趣味が見える。