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私はだれ?ここはどこ?

 ザ・ドリフターズのコントで金だらいがカトチャンの頭に落ちてきて
目をまわしてフラフラしながら、
「私はだあれ?ここはどこ?」と言った。
このセリフを医学では見当識障害と呼び、認知症の症状として
扱われている。
自分がどのような状況にあるか最低限の認知能力を表す言葉である。
 
 テレビで「知の巨人」と称えられた立花隆さんの追悼番組があった。
ロッキード汚職事件で逮捕された田中角栄首相の金脈の裏側を
綿密な取材で記事にして、ついには一国の総理大臣を退陣させるという
ジャーナリストとしての大金星を揚げた。
この人の興味は多岐に渡り生命科学、環境問題、宇宙飛行士、サル学、
脳死、臨死体験などなど膨大な資料を練り込み
著作を積み上げていった。
湧き上がる好奇心のままに生きて来た人で、自らの癌の手術中も
モニターを見続け、なるほどこうなっているのかと
嬉しそうにしている様子は、客観に徹したジャーナリスト魂を
見る思いだった。

 追究してきた沢山のテーマに通底しているのは何か考えてみると
見当識ではないかと思う。
ここでいう見当識は、哲学の最大の問いである「人間とは何か?
どこから来てどこに行くのか?」である。
さらに「自分」という実体に異常な好奇心を持ち続けていたようだ。
病を得て死期を覚り、意外な感慨を吐露した。

追いかけて追いかけて、おぼろげにでも何かを掴むと
そこにはさらに未知のことがパックリと大きな口を開けているんだ。

それはまるで積み木が崩れて意地を焼いている子供のような口調だった。
そう云いながらテレビ向けに付け加えて
「だから研究することは楽しい」と言い繕った。
本心ではなく悔しさ、負け惜しみにしか聞こえなかった。
結局、人間の存在とは見当識障害のままなのかと思わされて
空恐ろしさが増したのだった。

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