髪はおんなの命
七五三の祝いで振袖を着て、髪を結い上げた幼女の細い襟足には
もう色香がある。
髪はおんなの命という。
確かに縄文の昔から女性の髪型は土器に見られるように特別だった。
平安絵巻にも浮世絵にも絵師たちが如何に女性が美しく見えるように
髪の描写に神経を集中させている。
絵画と額縁の関係のように髪は顔の印象を左右させる。
女性が美容院にゆくのは、男が床屋にゆくのとは訳がちがう。
男は短く整えにゆくが、女性は新しい自分に出会う楽しみのために
ゆくようだ。
数えてみたら、家から駅まで7,8分の間に6件も美容院があって、
どこも繁盛している。
女性はお互いの髪の形や手入れについて20分くらいは
平気でおしゃべりできる。
男はそんなこと話題にもならない。
女性の髪の値打ちは、ツヤ、ハリ、イロだそうで、
みどりの黒髪という表現が一般的だが、
文学的にはカラスの青みを帯びたツヤのある黒い髪を特別に濡羽色という。
トリコフィリアという女性の髪に異常な性的嗜好をもつ偏執症があるが、
彼らは見た目の他にサラサラとした触り心地に心酔するらしい。
イスラムの国では女性の美しいところは隠せという教えから
ヒジャブで髪を覆う。
ヒジャブに反対する声が大きいが、実は大半の女性は好んで髪を
覆っている。
30枚ものヒジャブをとっかえひっかえして
モードを楽しんでいる女性が当たり前と聞く。
イスラムの男にとっては隠されたところに、
反って興味を高める効果になってはいないか。
能の世阿弥が風姿花伝という美の表現の奥義を表している。
「美しさは隠すことでより際立つ」
してみるとイスラムのヒジャブの女性たちは、
したたかに男たちの興味を煽って
女性の美の価値を高めているのではないか。
イスラムの男たちは、じらされてたまらず、
仕事なんか手に付かないのだろう。
「羨ましい」と言ったら
トリコフィリアを疑われそうなので止めておく。