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演繹法的な決断
秋晴れの日、アメリカ人の友人と歩いていて、
「見上げてごらん、あの青空を」と言うと
「醜いなあ」と返ってきたので、
「エーっ!」と友人を見ると上空を指さして
「あの蜘蛛の巣のような電線のことだよ」と言った。
電柱から家々に引き込まれゴチャゴチャな電線は確かに醜い。
あまりにも当たり前の光景にマヒして意識にも上らず
見えていなかった自分に驚いた。
日本では早くも36年前から無電柱化政策が始まっていた。
ところが現在、東京23区で無電柱化されたのは
たったの7%で、パリ、ロンドン、香港はなんと100%で、
ほかの国の都市でも大体70%程度は達成している。
どうしてパリ、ロンドンは100%なのか。
何のことはない、電柱は危険だから禁止したということである。
政治の決断の問題だった。
国土交通省、電力事業者、通信事業者、自治体の思惑が絡んで
電柱の電線以上にゴチャゴチャで、一歩も前に進めない。
逆に電柱の数は増え続けているというから驚く。
右を見て左を見て、恐る恐る審議にかけて、
皆さんのよろしいようにと妥協してゆく
帰納法的な進め方では無電柱化は実現しない。
こういう利害が複雑に絡む問題は演繹法的な決断が必要だ。
こんなに清潔で安全で整頓された日本の社会にしては、
電線ゴチャゴチャの街角の姿はお粗末極まりない。
海外からのお客さんが上を向かないように道路に絵を描いて
誤魔化すしかないのだろうか。