万物に神が宿る?
我が国だけではありません、世界には多神教・アニミズムに類する信仰が沢山あります。
その信仰は、大自然のあらゆる存在には神様が宿っているとしています。
日本には、供養という奥ゆかしい心情から行われる儀式があります。
人や動物だけではなく愛用してきた道具も供養の対象です。
縫い子さんの針、調理人の包丁、大切に慈しんできたお人形など
沢山あります。亡くなった人や動物、道具に対して、
自身との繋がり、因縁として捉え、畏敬の念をもって
感謝する心です。
そんな古臭いと思われる考え方が、最新の量子力学が進むにつれて、
その連関が説明されうるような時代に差し掛かっています。
量子と言えば、産業技術的には量子コンピュータが次世代のITの主流に
なると、技術先進各国は一歩でも前に出ようとしのぎを削っています。
何しろ従来のコンピュータと情報処理能力が異次元レベルの差で、
乗り遅れたら企業として生き残れないという強迫観念が後押ししています。
従来のコンピュータは、1か0かの二進法で計算する仕組みですが、
量子コンピュータは、0であり1でもあるということから計算が進み、
なんと従来のコンピュータの数億倍の処理能力となれば見える景色は
一変するでしょう。私たちは、とんでもない時代に生まれついたのです。
さて、量子の何が面白いのか?
冒頭で触れたアニミズム・万物に神が宿るという感性と
量子力学の性質が共通しているように思えるからです。
量子力学は1920年代アインシュタインと6歳年下の物理学者ボーアとの
論争が有名です。
「私が月を見ていないときには月は存在しないと云うのか」という
アインシュタインの問いに対してボーアは「はい、月だと意識されないと
月は存在しません」と平然と言ってのけたのです。
結局、アインシュタインは量子論を理解できず
「神はサイコロを振らない」という悔しまぎれの言葉を残して
この世を去りました。
アインシュタインが忌み嫌った現象は、人の意識が物体に作用しているというオカルト的な現象を扱うからでした。
近年、精巧な実験装置が開発されて、理論物理が量子力学のオカルト的
現象を次々と証明してしまったのです。
二重スリット現象は代表的な実証実験でした。
実験を進めると人が見ている時と見ていない時では実験結果が異なっているということが立証されました。
量子とは、動物も植物も石ころも目の前のパソコンも共通して、
その存在を成り立たせている究極の物質で、素粒子、クオーク、
電子、陽子、中性子などお馴染みの物質です。
もちろん、私たち人間も例外ではなく素粒子の塊です。
人が見ているということは認識しているということで、
その意識が物質や現象に作用しているということです。
物と心が区切られた存在ではないということになります。
人が意識を向けると存在すると言われても、
中々納得出来るものではありませんが、れっきとした事実です。
何しろその原理を使ったコンピュータが数年で稼働を始めるかも知れないのです。
量子もつれという現象もアインシュタインが唱えた時間空間の常識を
飛び越えていて、正に極楽浄土、十万億土を行き来する霊魂の振る舞い
とそっくりではないでしょうか。
どうやら人の意識というものが、この宇宙を成り立たせている「根源」ではないかという考え方に進んで、なんとも不思議な気持ちになります。
旧約聖書で「始めに光ありき」といい、新約聖書では「始めに言葉ありき」と唱えられました。
動物界で言葉を持つのは人間だけで、この差が他の動物との決定的な脳力の差を生みました。
言葉はただ単に人間同士のコミュニケーションの道具ではなく、
思考を紡ぎ出す「元」でもあります。
私たちは毎日、毎時間、目覚めているとき、常に言葉を巡らせて
認識しています。暑い、寒い、気持ちいい、怖いなど言葉にしないと
認識できないように造られています。
「時間」という言葉がなければ、急ぐ、遅い、若い、老いという感覚はなく、「死」という言葉がなければ、生きている実感も、死の恐怖も感じる
ことはありません。
全ては言葉で規定して生きているので、生きる苦しみから
逃れるためには、一切言葉から離れて座禅する只管打座の修行と
なるわけです。
言葉を発する瞬間にその想念・イメージが脳内に立ち現れる仕組みと
量子の現れ方が似ているように思います。
車窓から富士山が見えて、美しいと感じてそれから核分裂のように色々な
思いが一瞬で、わっと広がってゆきます。
この時、読書に夢中になっていて富士山の姿を見なかったら
富士山は存在しません。
海外に住む知人の事を考えていたら電話が掛かってきたとか、
電車で30年ぶりの友人に出会ったなど、確率論的には成り立たないくらいの偶然を皆さんは日常的に体験しているのではないでしょうか?
この不思議さも、量子レベルの作用として考えると当たり前なのかも
しれません。
家内と車でドライブしているときに、この車の悪口やそろそろ買い換えようかなど、この車が嫌がる会話をしないようにしています。
駐車場に入れてエンジンを切った時、ありがとうご苦労さんだったね、
とダッシュボードを軽くポンポンと叩き、労をねぎらいます。
この方が車は調子がいいのです。心は物に作用しているようです。
万物に神が宿るという古来からの感性と量子力学という最先端の
テクノロジーが結びつく、本当に面白い時代に生きている幸運に
感謝・感謝です。