わたしのしあわせって?
小さい頃から、
10代、20代、30代もずっと
幸せ=結婚=女性としての普通の人生
と思って生きてきた。
30代になると半数以上の友だちは結婚をして子どもを産んでいた。20代は「私もいつか」という淡い憧れや期待を持っていた。それがいつしか「結婚しなければならない」という焦りに完全に変わっていた。
子どもは好きだし、授かることができるのなら生きているうちに自分の子どもに会ってみたいとも思っていた。
年齢が高くなればなるほど、出産のリスクも高くなる訳で。
そして、追い打ちをかけるように、職場では私より3歳若い子が妊娠した。
とにかく焦っていた。
そして勇気を出して結婚相談所へと入会。
私担当のカウンセラーがつき、わりとまめに状況確認の連絡がくる。
時には1時間以上のアドバイスという名の反省会、ダメ出し会。
この方のここが私には…と正直に話すと、すぐに白黒つけて決めすぎよ!と怒られる。良い歳して惨めな気持ちになったし、また怒られるぐらいなら本音で話すことをやめよう、、とも思った。もともと低めの自己肯定感はさらにズダズタにされていく。
そんな心の傷を負いながらもお見合いや仮交際ではちょっとしたコツを得て、経験を重ねていくたびにある程度は要領良くこなせるようになった。
何より、婚活している、という名目があると周りにも自分自身にも、私は結婚に向けて努力しています!というアピールや安心感という錯覚に陥っていた。私ももうすぐ結婚して、女性としての普通の人生を歩みますから!みたいな感じ。
数多くの婚活していると
人柄というよりもまずは条件。人柄なんて二の次。そんな中、何度も会っていた人がいたが、好きとか好意を持つ感情はなかった。カウンセラーに相談すると若いうちだけよ!ドキドキするなんて。と。
そんなもんなのかな。
婚活のデートは間を空けてはいけないという暗黙のルールが存在する。距離を縮めるために、休みの日に婚活を入れる日々。
私の心と体はすり減っていった。
本当にこの人と結婚するのかな?大丈夫なのかな?この人のことまだ好意を持ててないのに。不安が膨らむ一方で、世の中はクリスマス。カウンセラーからは急がされるようにことが進められていく。
「プロポーズはせっかくだから指輪でもらっておきなさい」「そうですかね…」
私、どんどん引き返せないところにきてる…。嬉しさなんて1ミリもなかった。
生きている心地がしなかった。
もう、生きていることが苦痛になっていた。
プロポーズしてもらってからはもっと。
「私、本当に結婚したいのかな?」
自分に問いかける。
結婚したいのは社会的な地位を得たいから?周りの人から結婚してる、「普通の」人間だと思われたいから?
幸せを感じない結婚は何のための結婚?
思考回路がぐるぐるする。
焦って、結婚という道に進んで苦しくなってる自分がいる。
こんな精神状態になるなんて結婚をやめたほうがいいんじゃないか、とよぎる。
するともう一方の私が言う。
「ここで、結婚しなかったらあんたはずーっと一人!」
「それでもいいの!?」
「また1からお見合い!?またスタートライン??」
「この先、一人で生きていくの?」
「まわりはみんな結婚してるんだよ」
「こども産むチャンスはなくなるよ」
「あなたが望んでいた女性としての普通の人生を歩めなくなるんだよ」
と捲し立ててくる。
…
もう私…何がしたいの?
どうしたいの?
涙が溢れてくる。
私自身も分からなかった。
結婚したくて婚活してたはずなのに、なんでこんなに辛いの。
この先に幸せがあるとは思えない。
私は何を感じて、何を思ってるの?
私の本音はどこにあるの?
感情や、本音を隠して蓋をしてきた結果、自分の気持ちが分からなくなっていた。
でも、確かなことがひとつだけあった。
これ以上は進めない。
進んではだめだ。
立ち止まろう。
そこから私はある程度の時間をもらって、自分の気持ちを整理して、お相手の方にも謝罪をして婚約を白紙に戻してもらった。
結婚相談所に入会して
結婚という幸せを、
女性としての普通の幸せを、
手に入れるはずだった。
手に入れることができると思っていた。
ずっと思い込んでいた
「幸せ=結婚=女性としての普通の人生」が
私にとっての幸せとは違うものだったと気付いた。
もちろん、世の中には結婚をして幸せな人がたくさんいる。子どもが生まれて幸せな人がいる。その方々を批判したり否定するわけではない。
みんなそれぞれの幸せの形や感じ方、捉え方があるということ。
でも私は長いこと
「幸せ=結婚=女性としての普通の人生」というたった一択に縛られていたんだな、と思った。幸せに生きる選択肢は一択、二択でもなくてそこには無限の選択肢が広がっている。
そもそも普通って何?
世の中って何?
私の中にあった「普通」「世の中」の概念は、自分が創り出した虚像の世界だったのかもしれない。
世の中の一般論や常識も時代で変わる。
「女性は家庭を持つべき」「女性は子どもを産むもの」「結婚は女の幸せ」「結婚してこそ一人前」という世の中の常識、固定観念に私が私自身に思い込ませていたのかもしれない。
結婚しても
結婚しなくても
どっちでもいい。
どっちも私。
子どもを産んでも
子どもを産まなくても
どっちでもいい。
どっちも私。
どっちに価値があるとかないとか。
そんなものはない。
どの選択肢を選んでも
私が私であることに変わりはない。
〇〇しなくちゃいけない。
〇〇であるべき。
白黒どちらかの一択を選ばなくていい。
もっと曖昧に生きてもいいんじゃないか。
自分にとっての幸せを探しながら生きてもいいんじゃないか。
忙しくなると自分の心の声が聞こえづらくなったり、聞こうとする努力を怠りがちになる。
私は何が好きだった?
私は何をしているときが楽しい?
まず、
自分自身を知ることから始めよう。
自分の心との対話。
「結婚することが幸せ、だから結婚しなければならない」と信じていたのに
「婚活を終わりにする」選択を選んだ。
約二年(アプリも含めたら約六年)ひたすら婚活を繰り返していた私が行き着いたのは
「幸せ=結婚=女性としての普通の人生」という固定観念からの解放。
「結婚しなくてもいい」
「自分を幸せにする方法はいくらでもある」
今までよりも
少しは気楽に生きていけるかな。
これからは
自分の心の声を聞きながら
迷ったり悩んだり。
これからは
自分のものさしで
幸せを
考えて、感じて
人生を選択していく。