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傷だらけのローラにさよなら
「せわしない」「足音が男」「いつも何かに追われてる」「ガサツ」こんな言葉を幼少期から言われ続けてきた女。勲章のように謎の傷、痣を抱きしめて生きてきたんだ…。
幼少期から成人して家を出るまで、ずっと言われ続けた。でも私はそんな自分が嫌いじゃなかった。おっちょこちょいな自分も何だか愛らしいし、守ってあげたくなる男もいるんじゃない?と高を括っていたのだ。
だけど最近、あることに気付いた。大切な人からもらった大切なものを、大切にしようと心に決めたのに、大切にできないのだ。気付いたら、失くしてるか壊している。
「物を大切にすることと」と「ガサツ」は因果関係にあるんだ。思い返すと、ガサツにせわしなく生きることで、損することはあっても良いことなんて一つもなかった。今まで気にしてなかったけど、脚だって傷一つないほうが良いに決まってる。痛いし。
コロナ禍での自粛期間、V logを見ることが増えた。皆一様に、愛着を持って物に向き合っている。大切に扱うその様は、私には持ち得ない美しさだった。
鞄を開ける動作、リップクリームを繰り出す所作、本のページを捲る指先。何故だろう?彼女達から発さられる言い様のない品を、羨ましく思う自分がいるのだ。
そもそも私がこんな風に生きているのは根底にある「効率」という概念のせいであると、自己分析。何事も同時進行で、無駄なく、早く終わらせることが、一番自分を一番甘やかし可愛がることだと思っている節がある。そして全て「やらなければならない事」を終わらせて、「やる必要のない事」をダラダラやる時間が至高だと思っていた。
だが、それが何になろう?傷を作り痣を携え、得た時間で、棒にも箸にもかからない事をする。大切な物を失い、壊し、その引き換えに、怠惰でデロンデロンな私。溶けそう。
物を愛そうと思う。このPCを開く時も閉じる時も、病める時も死がPCと私を分かつ時まで、優しく愛おしくキーボードを押してあげる事を誓います。
彼から貰った物だけでなく、全ての物に愛情を持とうと思う。このガサツな私が、こんなに大切に扱うのだから、なんだかこれってとても高価な物だった気がする!って錯覚するくらいに。もう傷だらけの人生は終わりにしようと思う。
(PCをそっ閉じ)←重要