ブロンプトンで東京下町界隈を彷徨ったおもひで (2016)
A day in the life 11
今でこそもっぱら蔵王の森に蟄居するわたくしであるが、かつてはたびたび都を訪ね遊び、文化と物質文明を謳歌していたものである。それがコ口ナの世になって以来、東京界隈にはほとんど近寄っていない。しばらく行かないうちにかの地では不逞外国人が無礼三昧で薩摩藩の行列を横切ったり、馬鹿の操る無法電動キックボードが雲霞の如く飛び回っているとか、トゲトゲの防具を付けたモヒカンのならず者がヒャッハーといって狼藉を働いたりして末法の世になっていると聞く。
2016年、ブロンプトンでやたら日本各地を飛び回っていたころ、まだ平和だった帝都東京にも行った。というか当時は帰省も含めて年に何度も行っていた。将来的は毎年東北の寒い季節は都内のサービスアパートメントに1ヶ月ぐらいのんびり滞在しようかと夢想もしていたぐらいであった。
当時は妻氏が仕事関係で時折都内に出張滞在することがあり、この時もそれにかこつけてわたくしも東京見物に出かけたのだった。
当時われわれが東京に用事のある際に愛用していた宿は永田町にあった全国町村会館だ。奇妙な名前だが普通にホテルである。
帝国ホテル傘下というからサービスは万事に申し分ない。ツインの部屋は30平米前後あって快適だ。
これはその名の通り、全国の地方議員や行政関係者が永田町に用事のある際の便を図るべく造られた宿で、その筋の関係者はさらに格安で泊まれるらしい。
わたくしたちは無関係な人民だがそれでも当時の都内の水準から見ても安く、ツインで一万円台半ばだった。こんなにお得な宿が世間に知れ渡って人気が出ては困ると思ったわれわれはなるべく知れ渡らないように黙っていたのだがそうもいかない。今ためしに空室検索してみたらぜんぜん空いてなくて、たまにツインが空いていても3万円台とかだ。インバウンドおそるべし。
Day1
この時は昼間妻氏が所用で出かける間、わたくしはブロンプトンに乗って東京見物に出かけるという分業体制であった。
わたくしは皇居を遥拝したのち走り出し、大手町から東西線で輪行して木場で降りた。この日は押上あたりの界隈を散策するのが目的である。
はじめに目指すは砂町銀座商店街である。昭和の香りを残すダウントゥアースな商店街との評判だ。
昔ながらの商店街でわたくしが好きなのは揚げ物屋だ。大抵は肉屋に併設されている。店頭にコロッケや各種フライが並んでいるのを見るだけで楽しくなる。わたくしは高校生のときから学校帰りに揚げ物を買い食いするのが好きだった。ファストフードの初期形態といえるだろう。この日もわたくしはそのような店の一軒で唐揚げとメンチカツを買って補給食とし、公園で賞味したのであった。
この辺りは縦横にかつての運河であった小河川が巡っている。春のうららの墨田川、上り下りの舟人が櫂のしずくも花と散るのである。それらに沿って自歩道がつくられている。今は春どころか寒い初冬ではあるが、それらを利用してサイクリングするのは楽しいものであった。 東京の殺気に溢れた車道の走行はなるべく避けたいと考えるわたくしにはありがたい街づくりであった。
わたくしはそのようにして菊川から深川界隈を粛々と走り抜けた。このあたりは随所に緑地やら公園が点在し、大都会の喧騒を忘れさせるものがある。
そののどかな空間を睥睨するかのように高層マンションが建ち並ぶ。ダウントゥアースな下町とキラキラタワマンライフの同居する地域だ。なんといっても利便性が人気の界隈なのであろう。都心に近いし、随所に緑地もある。東京に立脚した人生を送るには適した一帯といえる。 わたしにはあまり用はないが。
このあとは日本橋を経由して永田町の宿に帰った。Day1終わり。
Day2 谷根千
翌日はいわゆる谷根千一帯を探索する。
谷中から千駄木を経て根津に至る界隈を縮めて谷根千と呼ぶのである。東京の下町界隈の中でもとりわけ人気の高いエリアだ。
この日は二重橋から千代田線で輪行し、湯島で降りた。
湯島といえばホテル江戸屋という宿がある。かつて馴染みの宿であった。
千葉の松戸に住んでいたころ、ここに都内で飲んだ晩に泊まったり、仙台に移ってからも上京の際に何度か利用したりした。都心にありながらゴージャスアーバン路線に見向きもせず、和室ばかりで名前通りのイメージを湛える宿だ。いかにも地方から出てきた人が好んで止まりそうなバジェットな風情がある。各地から友人が集まって宴会を催した際にも宿舎として手配し、たいへん喜ばれた。今ではその和風レトロ路線が外国人旅行者に大人気となり、そのままの雰囲気で大繁盛しているようだ。
当時平成1ケタのころはビジネスホテル価格だったが、今では値段だけすごくゴージャスになっている。しかも見てみたらぜんぜん空室がない。
江戸屋メモリーに浸りながら湯島をあとに、上野公園を経て 谷中銀座商店街に至る。
谷中銀座は今回訪ねた商店街のうちでももっとも有名なところだ。
周辺の街並みも古い家屋が残り、戦前の東京の風情を宿している(生まれてないから知らんけど)。
最近では外国人観光客が大挙して押し寄せ大変なことになっていると聞く。しかしこのころはまだ平和なものであった。
隅田川東岸エリア
もうひと足伸ばして少し離れた墨田川の東岸エリアをも探索してみようと考えた。
輪行も考えたが西日暮里からまっすぐ東に向かって隅田川の向こうに至る路線というのがない。よって自走した。谷根から西日暮里に出て、入谷から浅草の外縁をかすめて墨田川に至った。川を渡った一帯が京島である。
これまでの下町エリアはビルやタワマンが立ち並ぶ中にひっそりと残るといった雰囲気だったが、この一帯は下町が連続的に連なるとされる。最近では古い家をコンヴァートしたゲストハウスや民泊も増えて人気を博しているというし、さらに深い情趣が期待された。
商店街探索の第二弾はここのキラキラ橘商店街だ。
ここはしかし名前ほど華やかな感じはなく、閉まっている店も多い。砂町や谷根のような面白みを欠く感がある。
次いで向島の鳩の街商店街を訪ねた。しかしここもさらに寂れた感じで面白くなかった。大丈夫なのか、はたまた曜日が悪かったのか。
隅田川東岸、そうでもなかった。下町といっても単に細い路地が続くだけで、立ち並ぶのはアパートや狭小住宅ばかりで、視覚的に楽しめるものではないのだった。
この日はこのあたりで切り上げ、Day1で散策したあたりに戻って押上駅を終着とする。
押上といえばかつては京浜急行の終点としてのみ認識していたような地名であったが、今やスカイツリーで引も切らぬ人気スポットとなっている。しかしわたくしはこの日スカイツリーの写真を撮っていない。古い街を訪ねたあとではどうしても新しいものに冷ための視線を向けてしまうのだった。ふんスカイタワーというのかい、ずいぶんたいそうななりじゃないか。東京タワーの旦那に挨拶は済んだのかい、新入りは義理を欠いちゃあいけねえぜ、とわたくしはスカイタワーにひとしきり説教してから輪行して宿に戻ったのであった。