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どうせ人間いつか死ぬしと遠くを見るお前に問いたい


競馬でバチコリ当てた時も同じ表情でソレ言えんのか。
明日が来るのが嬉しくてしゃーーーないやろ。え?
金なんてただの紙切れ?ホンダラ全部よこせ!バカタレが

どうも、メロウパン奈です。

どうせ人間いつか死ぬし

この言葉に救われたことは、わたしも実際ある。
海は広くて空は高い、陽は暖かく、月は遠い。ちっぽけな地球に儚い小さな命が何をしてもこの世界は変わらない、人はどうせ死ぬ。今抱えているこの苦悩も、地球規模で考えたら一瞬のことだ、と。地球規模の大きさと、目の前の壁や試練、そしてわたし自身のくだらなさを比べて「こんなのアリンコちっぽけの悩みじゃん、しょうもないな。やってやるか」と、勇気が出る。

どうせ人間いつか死ぬし

「一度きりの人生だから、楽しく行こうぜ!」という意味でも使われる。わたしはあまり口にしたことがないのだが、明日にでも死ぬ勢いで今日を楽しんでいる人がいる。周りに迷惑をかけない程度に好き勝手楽しんでほしい(嫌味とかではなく)。こういう条件下で言うこの言葉には、個人的にあまり馴染みがない。

死んだら終わりじゃねえ!というとんでもないことを言う人もいる。悪い死に方をしたら、成仏されずにこの世を永遠に徘徊する、地獄に落ちるなどという人がいる。まあ確かに、例えば生き物を殺めたり、人間としての文化を尊重することなく非人道的に自分の人生の歴史にそれらを刻んで生きてきた人はそうなるべきだと思うが。じゃあ、この長い歴史の中で死人がどれだけいて、幽霊はどれだけ彷徨っているのか。疑問である。世界は幽霊飽和状態なんじゃあないの。

2032年、1.2%の確率で地球に隕石がぶつかる可能性がある

 通勤手当が課税される疑惑、来週は警報並みの大雪予報、物価上昇などのニュースの中に、一際目立つニュースの見出しを見つけた。2032年、1.2%の確率で地球に隕石がぶつかる可能性があるというのだ。
 もしその1.2%の確率で地球に隕石がぶつかり、少ない確率で地球が滅亡したら、その時は通勤費課税どころじゃないだろう。何億前の恐竜の化石が現代で発掘されるように、無機物なものが現実だけを後世に伝え、「死んだら終わりじゃねえ!」のような文化・思想や、「通勤手当は課税対象として検討」のような条例が、当たり前だが滅される。もちろんわたしの「仕事行くのめんどくせえな」というくだらない悪口も全て無かったことにされてしまうのだ。化石として残るのは、骨だけ。
 
 人間いつか死ぬ、それは紛れもない事実である。その通りだ。でもその事実だけを頼りに生きていると、自分は地球上に息をしているただのヒト科にすぎないことが証明されてしまう。わたしがわたしである意味があるのか。

 地球が滅亡して、何億年後「あえてアイスというものを寒い冬に食べて、ハッピーを感じていたヒトというものがいた。どうやら30歳女性らしい。」と、哲学者や地理学研究者に発見された方が、どうせならいいんではないか。地球はいつか滅亡するので。どうせなら。後世の研究者の考察をぐちゃぐちゃにして、紛らわしい文化や思想があったことを長い時間考えさせてやりたい。

 平日にnoteを記録するまできてしまいました。しかもこんな文章で。
何を目指しているのか、自分でも分からなくなりました。地球が滅亡したらこんなものは真っ先になくなってしまうはずなのにな。

 ハーゲンダッツはストロベリー味が一番うまいぞ。

今日は終わりー!
休憩を終えて、午後も仕事頑張ります。


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