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地域経済を生み出す~プロデューサーあっこが描く未来区のミライ

2018年の秋、福岡県直方市にて「うっかり楽しく社会貢献」という帆を掲げ、漕ぎ出した「仮想未来区役所(以下 未来区)」という船。「役場系民間コミュニティ」として、「誰かの意欲をカタチにする場」「住みたくなるまちづくり」を模索する航海は、さまざまな荒波に揉まれ、出航から2年半の時が経った。

仮想未来区役所が、直方出張所「囲炉裏」というコミュニティスペースをオープンしたのは2019年5月。その建屋は、芸者の取次を行う「券番」に関連する建築物・徳永邸を改装したもの。玄関から続く広々とした『くつろぎの土間』、左手奥に『コミュニティキッチン』、キッチンとの対面に小上がりの座敷スペース『コミュニティ食堂』がある。

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手付かず開かずの間となっていた2階も、大幅な改装工事を経て2021年4月、「コワーキングスペース」としてオープンを果たした。建屋の中央、吹き抜けから覗く大きな梁と手すり付きの回廊を巡るように、『にじの間』『ほしの間』『つきの間』という新たな生命が吹き込まれた。

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大きな転機を迎えた一方で、そもそも「未来区とは一体いかなる場なのか」という問いに応えられる人がどのくらいいるのだろう。未来区の立ち上げに最前線で関わり、現在はプロデューサーという立場から未来区を見つめる清水亜希子に、改めてその問いをぶつけた。

1.発想力をカタチづくった波乱万丈で華麗な職歴

16〜17歳でアメリカへ留学。留学に前後して、お金を稼ぐため、とにかくありとあらゆるアルバイトに明け暮れた。パン屋、歯科助手、ガソリンスタンド、訪問販売、コンサート会場、建設会社…留まることを恐れるように、転々と働き続けた。

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多業種を経験したことで、人間性の深みを見た10代〜20代前半だった。でも、何をしても《満たされない》という空虚感から逃れられなかった。そんな時、先輩から『あんた夢ないの?』って言われて。初めて『夢あったよ!わたし、英語関係の仕事に就きたかったんだ』って思い出した。

19歳の時、児童英会話教室の講師に。生徒を集める営業に始まり、150人の生徒へのレッスンとマネジメントを任された。やりがいを感じたが、生徒の親も含めた人間関係に振り回されることに心がすり減っていき、2年半ほどで退職。22歳の時だった。

一見脈絡のない職歴。しかしこうした経験により、言葉の力、デザインセンス、建築の知識、さまざまなアイデアの源泉となる知識が培われた。

2.子育て中に迷い込んだ長い長いトンネル

結婚を機に名古屋から福岡へと移住、そして妊娠・出産。目まぐるしい環境の変化と、親や友人など頼る人のいない孤独感に苛まれるようになっていった。

毎日、辛くて怖くて泣いていた。ある日、買い物中に泣いてぐずった長女の手を離した時、知らない女性に『あなた何してるの!』って叱られて。
その時『私だって辛いんです』って。見ず知らずの人にバーっと気持ち溢れてしまった。『わたし、辛いんや』
初めて気がついて『このままじゃいけない。何かしなきゃ』と思うようになった。

3人の子どもを保育園に預け、広告代理店で働き始める。人生は華やぐ一方、子どもたちとの関係性は希薄なものになっていった。仕事が軌道に乗ってきた頃、4番目の子どもを妊娠し、退職という決断をした。

生んだ後、『自分の人生はなんだったんだろう』という空虚感に襲われた。
生みたくて生んだ子たちなのに、きちんと成長を見届けることもできず、何をしてきたんだろうって。
『好きなことで仕事をする』と決めてやってきたのに、これは私のやりたかったことじゃないよねって。
4番目に生まれた子どもと一緒に『子育てが楽しかったね』と言える人生にしようと思ったの。ふと。

そこで、自身が5年もの長きにわたり、鬱状態にあったことに気がついた。
そして同じように、自分では気がつかずに苦しんでいる人がいるんじゃないか。そういうママのサポートをしたいと考えるようになった。


3.英会話教室を通して見えた教育の世界

心のあり方が大切だと気がつき、母親のサポートをしたいという想いから、かつての経験と英会話スキルを活かし「英語を教えない英会話教室」を作る。

子どもたちが自由に過ごせる場所、お母さんたちの悩みを共有できる場所を作りたかった。
『どこの教室に連れて行ってもダメなんです。でも1週間にせめて1時間は楽になりたい』って。そこで、自分では悩んでいると気がついていないけど、悩んでたんだっていう『かつての私』にたくさん出会った。

「子どもの能力と個性をもっと発揮できる社会にしたい」
「子育てに専念しなきゃと思い込んでいる女性をサポートしたい」

英会話教室の法人化から2年が経った頃、母親向けの勉強会や講座を行う会社にシフトしていく。イベント企画が主体の広告代理店に勤めていたため、イベントの企画、集客、実行はお手のもの。人との出会いが繋がっていき、経営を教えて欲しいという声が上がりはじめる。

『経営を学ぶ人が増えたら、仲間が増えるやん』って希望を見出した。
起業を目指す仲間たちが集まり、それが今の未来区に繋がっている。

4.直方にすっごい場所があるんだって

『直方に徳永邸っていうすっごい物件があるんよ。あっこも見るべきやから』って、起業仲間からすごく興奮して電話がかかってきたことを覚えている。
最初に吹き抜けと梁を見た時、『ここは残さなあかんよね』って。私にとっては長屋も魅力的で、はじめて見た時にふと桜町小路の長屋に人の往き交うイメージが浮かんだ。あの時浮かんだ姿を実現したくて、今も未来区に関わっているのかもしれない。

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昭和の古き良き風情の継承ではなく、今の時代に合った再興。あるものを活かしつつ、新たなまちづくりをやりたいと心が湧いた。
手書きのビジョンマップと企画書を携え、直方市の観光課にプレゼンを実施。その時に掲げたビジョンが『街の再興-Revival-、ひとの再生-Rebirth-、暮らしの再起-Return-』という3Rの概念だ。

プレゼンに対して『めちゃめちゃいいね』って言ってくれて。とりあえず決起集会をやろうって。
直方市と協力して、せめて1階だけは人が入れる状態に整備して、2018年10月に地元の人を集めて決起集会を行った。
その時に集まった人に『新しい取り組みは歓迎する。長く続けるために、どういうことを計画しているのか』と聞かれて。
反対の声はあるって聞いてたけど、反対されるどころか、長く続ける方法を考えないといけないんやと知って、もちろん辞めるつもりはなかったんやけど、この人たちは本気で期待してるんやなって感じたのね。

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2019年の春、仮想未来区役所・直方出張所「囲炉裏」は、地域の人の困りごとを請け負う「よろずや」のサービスを軸に「コミュニティ」という機能をもつスペースとして旗揚げした。
社会とのつながり方で「手伝ってください」「困ってます」「助けますよ」「あげますよ」「もらってください」「欲しいです」っていう人たちのマッチングを多く生む場所にしようという『リアルジモティ』構想の実現を模索した。

5.作って壊してを繰り返し、原点回帰

旗は掲げたものの、すぐに暗礁に乗り上げてしまう。
区民を募集して、職員と共に活動する。自分たちの想いを叶えていくために、お互いが協力し合うっていうシンプルなことなのに、「なぜこんなに停滞するのだろう」「どうしたら協働が生まれるのだろう」と思い悩む日々。
組織図を変えたり、3Rを見直したり、仕組みを再構築したり、ということを繰り返したが、状況は変わらなかった。
そんな時、2階の改装の話が持ち上がった。大きなプロジェクトに取り組むことで、足りないのは「共有」する仕組みだと気付いた。

私が未来区で一番実現したかったことは『助け合い』や『協働』だったのに、未来区に所属している人が何を叶えたい人たちなのかをみんなで共有してなかったよねっていう反省になった。
『助け合い』や『協働』は、勝手に生まれるものだと思い込んでいたけど、それは違った。そこでやっぱり仕組みが悪かったんだなって気がついて、自分で作ったんだから自分で壊すのが一番道理だなと思って、もうこれが最後っていう気持ちで仕組みを見直した。

そうしたら、未来区のメンバーって《職員》と《区民》しかおらんやんって気がついて。《投資課》っていう名前をなくして整理した。「地域振興課」「地球環境課」「こども未来課」「すこやかやすら課」「総務課」、それぞれの課に課長を設けた。そうしたらすごくすっきりして。お金の区分、活動の説明がたやすくなって。
整理したことで《ビジター》から《区民》、《区民》から《職員》になりたいっていう人が増えたことにワクワクした。これからは、私たちがやりたいことをする未来区じゃなくて、みんながしたいことが協力したい人同士の協力で叶えられていく組織になるということに再び魅力を感じられた。

囲炉裏は誰のものでもないけど、自分のものになる日もあるやん。
囲炉裏に行った時、どこかしらに変化を見つけると、『ああ、なんか営まれとる』って感じてすごく嬉しい。早くあそこを我が物顔に使う人が増えて、未来区を作っていく人たちが増えていくといいな。

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6.未来区の志向するエシカルでサスティナブル、サーキュラーなまちづくりって?

そして、当初思い描いた3Rというビジョンが、灯台として道を照らす。
街に何があったら活気付くんだろう。なんで活気が必要なんだろう。街ってすでにそこにあるのに、何がそんなに不満なんだろう。3Rに回帰した時に見えてきたのは、わたしたちが飢えているのは「交流」だということ。

社会は新しい価値観を求めているし、価値観は常に変化・変容していて、より対話的になっている。対話的な組織は増えているけど、公共の場や会社で対話的なコミュニティってあるかなと考えると、まだそんなにない。そこではじかれて、自分を《弱者》だと勘違いして、本当は勇気のある人なのに発揮する機会がなくて、うずくまって生きている人ってもしかしたらいっぱいいるんじゃないか。
そういう《弱者》として生きている人たちが、もう一度自分の中の勇気や希望を取り戻したら、世界はひっくり返るんじゃないって思っている。

今日はお金がないけど、食事はしたい。逃げたいわけでも、払いたくないわけでもない。それを受け容れる器のある組織が必要。「じゃあお皿を洗ったらいいよ」というような対価を支払うための行動リストがあり、意欲に従って行動を選択できるような組織ができないか。

「ただ居ていい」っていう場所があるのも希望だよね。
ただ居るだけでは心苦しくて、何か貢献している実感や成果が欲しいなら、他に知識がある人と協働することでどんどん叶うはず。だからやっぱり多様な人たちが集う場所にならないといけないよねっていう原点回帰があって。
資格やお金など、持っているもので判断されることが多い世の中で、誰かがやりたいっていうことを、ただ純粋に応援できる場所。お金っていう即物的な報酬はないけど、目に見えない報酬ってたくさんあるんだということが実体験できる場所。
誰でも、誰かの勇気や希望を取り戻す機会を作れる。その場が未来区。
能力、技術だけじゃなく意欲も生かされる場所だったらいいよねって。
そして最近得た学びは、バラバラだからこそ密に話したり、コミュニケーションを取ることがすごく大事だということ。
今自分たちがやってるのが新しい価値観を持った組織なんだよっていうことを肌で感じられる場所にしたい。
そもそもパロディから始まっているんだから、染み付いた社会性をちょっとほどいて、『なりたい自分』『本当はやってみたいと燃えている意欲』が何だったかを思い出してもらえたらいいな。

「エシカル」は「心のある」、「サスティナブル」は「持続可能な」、「サーキュラー」は「循環型」と訳される。
どんな人でも想いを言葉にしてカタチにすることで、誰かの、社会の循環の一端を担うことができる。
未来区はたくさんの人の想いを乗せた船として、生活に関わる衣食住すべての分野で、豊かな循環の生まれる未来を目指し航海を続けている。

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interviewee 清水亜希子
一般社団法人 クラウドナイン・エデュケーション 代表理事
会社HP:https://www.kotonohashi.com
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interviewer 永野麻衣子
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photo by 山田博揮
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