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涼しさは後ろから背中を押してくれる (2023年11月の日記)


自然の中にぐっと足を踏み入れると、木々の彩りに心が躍る季節になってきた。
そのせいか、ここ1ヶ月は近所の山に何度も登ってみたり、友達が住む熊本までドライブして行って阿蘇を案内してもらったりと、より積極的に外の世界へ踏み出していこうと思えることができた。
涼しさって、大事。

登山をするときはいつも、登山口から頂上まで登って引き返す、みたいなスケジュールでは山をゆっくりと楽しめたような気がしないから、途中でできるだけ谷の川辺まで降りて行って、ネイチャーストーブを組み立て、乾燥した枝や杉の葉を拾い集め、薬缶に川の水を汲み、火を起こして湯を沸かし、呑気に紅茶でも飲む、みたいな時間を作るようにしている。
そうすると、(まだまだ登山用の体力がついていないからかもしれないけど)傾斜のある登山道を登っている時には気が付かなかったような、にぎやかな森の音が鳴り始める。
鳴り始める、って言っても、ただ人間の方にそれを受け取るだけの余裕がなかっただけなんだけど。
急な斜面を登りながらも、森の音と常に繋がっていれるほどの境地に達するのは、いつ頃になるんだろう。

熊本では、阿蘇山を中心として阿蘇市内をぐるっと1周するコースを友達が計画してくれていて、真っ青な秋空にススキが映える夢のような世界を楽しむことができた。
景色が良いスポットを何箇所も案内してくれたけど、どこも椅子を置いて1日中ボケーっとしていたくなる場所だった。
阿蘇の麓で食べた胡桃のつゆの蕎麦も、日が暮れて中心街まで戻って食べた焼鳥も、ドーパミンで体が溶けてしまいそうになるほど美味しかった。
車なのが残念だったな〜、次は、一升ぐらい飲みたい。
それにしても、阿蘇、何年振りだっただろう。
小学生に上がるか上がらないかぐらいの小さい頃、家族と阿蘇の白いコテージに泊まって赤牛の何かを食べたような記憶が微かに残っている。
阿蘇山の山頂まで上がって、噴火口を覗き込んだ記憶も。
この2つの情景は今でもはっきりとイメージが浮かぶから、当時相当印象に残ったんだろうな〜。
しかし今回思ったのは、大人になってからの旅はもっと最高だということ。
それは数々の人生経験の積み重ねによって五感や第六感が研ぎ澄まされたことによって、目の前に立ちはだかる情景や食べ物から受け取ることのできる情報が、幾重にも重なっているように感じられるからだと思う。
未知の場所へ踏み込んでいくのもたまらなく楽しいけれど、(もちろん子供心は忘れないようにしながら)昔行ったことのある場所を再訪し、前よりも広がった自分の感覚を通して、その場所の新しい部分を見つけていく旅も、たまらなく最高だと思った。

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