「ジキル&ハイド」-人間の二面性
ご機嫌よう。お久しぶりのメリアです。
先日、18年ぶりに「ジキル&ハイド」を観劇しました。
あまりに感動して、その日は、興奮で眠れなかったんですよ。
♪概要
原作 スティーヴンソンの小説「ジキル博士とハイド氏」
作詞・脚本 レスリー・ブリカッス
作曲 フランク・ワイルド・ホーン
初演 1990年アメリカ テキサス州アリー劇場
1997年3月 ブロードウェイでプレビュー公演 4月から2001年1月まで1543回上演される。
日本初演は2001年で主演は鹿賀丈史さん。
その後、2003、2005、2007年と務めている。
2012年からは石丸幹二さんにバトンタッチ。石丸さんも2016、2018、2023年と今回で4回目の主演で、柿澤勇人さんとwキャストとなり、有終の美を飾る。
演出 山田和也
上演台本・詞 高平哲郎
自分の正しさを信じて突き進んだジキルが、破滅を迎えるという悲劇的なストーリー。https://youtu.be/r1igNoCjOMc
しかし、素晴らしい音楽と舞台美術、演者の力量により、登場人物がいきいきと描かれ、冒頭から目が離せないシーンが続く。
なんてパワフルなステージだろうと、久しぶりに拝見して、改めて感激した。
♪二面性(表と裏の顔)
ストーリーなどはインスタライブでお話しするとして⤵️
ミュージカルの本題とも思われる「二面性」について記します。
M4「嘘の仮面」にもあるように
どんなに善良と思われる人にも、自分でも気が付かない裏の顔がある。
・ジキルの(裏の顔)と(自由)
ヘンリー・ジキルは研究熱心で父親思いの医師であるが、薬の副作用で現れたジキルの裏の顔=エドワード・ハイドは、欲望にまみれた極悪人だった。
その欲望もジキルの(本音)の延長線上にあるために、ジキルをより苦しめることになる。
ハイドが世に放たれた瞬間に口にした言葉が「自由だ!」であった。
しかし、ジキルがこの世をさる理由もまた「自由」だった。
暴走した自分の本音(ハイド)と理性(ジキル)との狭間で身動きできないジキルは、最終的に死をもって自由を得る。
どうやら我々の心の自由は、ただ欲望を強引に達成することでは得られないようだ。
人間社会の秩序の中で願望を達成することで、自由を感じるのかもしれない。
・エマとルーシーの(表の顔)と(裏の顔)
ジキルとハイドに関わる二人の女性も、実に人間の二面性を表している。
エマは、ジキルの美しい婚約者であり、上流階級では皆の憧れの的。幸せな生活を送っていた。
ルーシーは、いかがわしいパブ「どん底」で男性客を翻弄する人気No.1娼婦だが、幸せを願ったこともない。
と、
その生い立ちは真逆である。
しかし、二人の裏の顔もまた真逆だった。
エマは清楚な出立ちに反して、芯の強いしっかり者。ジキルを悪く言う輩に、すかさず痛烈な嫌味を言うほど機転が効く。
ルーシーは、娼婦でありながら、少女のようにピュア。ジキルに初めての恋ををするほどの純情さを持ち、嘘をつけない不器用な面がある。
そして、二人とも、ジキルを想いながら、悲しい結末を迎える。
・人間の持つ表と裏
ジキルのように、増大すれば(この世の悪)に成りかねない(裏の顔)があれば、エマたちのように、(裏の顔)こそが真実のこともある。
表と裏の顔=二面性があることが、人間社会を複雑にする。しかし二面性を持つことこそが、人間の証なのかもしれない。
長い文章をお読みいただき、ありがとうございます。
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