日記
ときめき。その言葉の響き。
ときめきは、色々な場所に落ちている。その中でも私のこころが酷く美しくかき乱されるときは、色々な本と出会う時だ。私はあまり、本屋で本を買わない。本屋はとても美しい場所だと思う。だけれど、一歩足を踏み入れた瞬間にその膨大で圧倒的な本達の勢いと情報の多さにのみ込まれてしまうのだ。
そんな私が数ヶ月ほど前、ふらっと思い立つきで神保町に立ち寄った。神保町は本の宝庫だ。古本屋の紙の埃っぽいにおい。あれがたまらなく好きだ。胸がとくとくと波打つ。そうしてぶらぶらと古本屋を巡っていると、何気なく見やった棚にひっそりと仕舞われていた一冊に目がいった。その本の背表紙だけがきらきらと光っているようで、思わず手に取る。そしてそのままほとんど衝動的に気づけばレジへ向かっていた。「二百円になります」と言われ、二百円ちょうどを店員さんに手渡す。その人はゆったりとした仕草で私にその本を渡してきた。そっと、そっとその本を受け取る。その本は決して綺麗とは言い難い。ページは酷く日焼けして色あせていたし、所々埃っぽいにおいもした。
それでも私はこの本に惹かれた。惹かれてしまった。とくとくと逸る胸を抑えながら、その喜びが身体から溢れてしまわないようにあえてゆっくりと神保町の街を歩き続けた。
振り返ってみても、あの時のときめきは今でも忘れられない思い出だ。本は私にとって、『ときめき』そのものであり、毎日にささやかな幸福を見出してくれるエッセンスだ。本を読んで何かが劇的に変わるわけではないけれど、その小さな幸福と発見、感動の積み重ねで人生に厚みがあらわれ、人生と己が豊かになるのだと思っている。