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「要」

 東風が家の中を抜ける心地良い朝だった。その心地良さに任せて、一時間かけて全ての部屋を掃除器で綺麗にし、仕上げに洋室をクイックルワイパーで拭き取って、朝食を食べて食器を洗ってこれを書き始めた。
 一週間、というかこの先もかなり忙しくなりそうで、本格的に仕事へのスイッチがONになり始めた。というかせざるを得ない。のんびりしてられない。

 月曜、午前三時に目が覚め、そのまま五時半まで眠れなかった。一時間仮眠を取って六時半に起きたが、どうにも身体が起きない。黄色信号を感じ取り、元々午後休だったこともあって一日休んだ。冷蔵庫の余り物でのんびり朝食を作っていた。

黄身崩壊してるけど、目玉焼きとササミの照り焼き。

 すると、大先輩から電話があった。自分の身を案じてくれたとともに、近所のホームセンターに買い出し行くから動けるなら付き合ってくれ、と。即答でOKを出し、買い出しにご一緒させてもらった。
 その後、午前中丸々買い出しで時間を貰っているからと、珈琲屋でモーニングを御馳走してもらい、話を沢山聞いてもらった。モーニングはそのまま昼食になったが。笑
 その日は通院日で、病院に向かう途中、「大先輩は俺が休んでも役に立ってると感じさせてあげたかったのかな、ありがてぇなぁ」なんて考えた。そして病院に着き、待ち時間は爆睡。

病院の水槽にいる可愛らしいおさかな。
たまーに会える。ガラスにくっついてて可愛い。

 医者の先生は、「怒りを溜め込むことはストレスに直結し、貴方の場合はそれが鬱症状を引き起こす」と教えてくれた。「怒り」との付き合い方…。
 俺が本当に怒る時、それは「人として筋通ってないでしょ」と思う時である。百人いれば百種類の筋というものがあることは承知。その幅を考えた上で、百人が「それは違うでしょ」と思うところが俺の怒りのボーダーライン。現に先週金曜日、そこを超えた先輩にはささやかな反逆をした。

 朋輩や友人相手でもそうである。先月二度、怒りを露わにした。それは自分にとって許せない行為を働かれた時だった。半年前の俺なら、それを自分の中で押さえつけてストレスへと変貌させていただろう。首輪も楔も無い俺には、それを押さえつける必要は無い。

 そして火曜日から現場復帰。体育祭に向けて、生徒たちの競技練習をサポートしたり、会場設営を手伝ったり。

九月七日。六日も二万歩オーバー。
復帰してから毎日一万五千歩以上歩いててすげぇ。

 そして迎えた体育祭、我が団はトロフィーを一つも手にすることはできなかった。というか一つの団に独占されてしまった。それでも、お子たちは落胆の表情よりも、「やりきって、楽しかった」という表情の方が強く出ていた。解団式、先生たちのコメントの時、俺だけは団旗を左手に持って風に靡かせ、想いを全て伝えてきた。
 そんな最高の体育祭、我らの団長は去年担任した子だった。その子が閉会式の前、一人椅子に座っていたので声を掛けた。

「体育祭、どうだった?」
「めっちゃいい思い出になりました。」
「その中に、俺はいるかい?」
「当り前じゃないですか!」

 凄く泣きそうだった。解団式の後、応援団の女子たちが泣いているのを見て、俺も堪え切れず泣いた。「九月に戻ってこれて、皆とこの瞬間を共にできて本当によかった、ありがとう。」とお子たちに話した。
 去年から知っている保護者の方々が声を掛けてくれた。半年ちょいで二十キロも瘦せたので、最初俺だと気づかなかったらしい。笑
 号泣しながら、何とか「今までお世話になりました。今後ともよろしくお願いします。」を言えた。百点。

 とても疲れたが、それ以上にとても素敵な一週間だった。本当に、復帰できてよかった。今の学校で俺をよく知っている子は十パーセントくらいだが、会ってまだ九日しか経っていないのに、子ども達はとても素直で、この仕事で生きていく上で最も俺が生き甲斐とする笑顔を沢山くれた。

 昨日の夜は食事の予定があったが、早めに退勤してきたので、丁度一時間ヒトカラできた。

久々の九十点。嬉しいね。
セトリ。最後の「激声」は、十五分強ある一作。
全曲Ai込で八十七点以上だったのは、体育祭のお陰かな。

 話は変わるが、先日こんな記事を読んだ。

先生が部活を見なくなる? 間もなく始まる改革 「地域」に子供たちを指導できるのか (毎日新聞)  
https://u.lin.ee/uBekPLr?mediadetail=1&utm_source=line&utm_medium=share&utm_campaign=none

 現実的な問題を記述し、様々な問題を浮き彫りにしてくれている記事だが、その中で、「ぶっ飛ばすぞてめぇ」と思った部分のみを抜粋。

ほんま何考えてん?

 悪いとも何とも思わずに言わせてもらうけど、俺は「生きるために仕事してる」のであって「仕事するために生きてる」んじゃねぇんだわ。人生を謳歌するための休み犠牲にしてたら何の為に生きてるか分かんねぇだろ。

 表題を「要」としたのは、何事にもそれがあるからだ。特にこの仕事は「要」を見極めて仕事をしないと、無尽蔵に働く羽目になる。今の俺は「要・軽業、要・通院」なので、土日祝はOFF、二週に一度通院の為休まなければならず、定時を超えると「オーバーだよ、早く帰りな!」と主任から言われ、管理職から笑顔で睨まれる。でも、本来ホワイト企業というか、仕事の在るべき姿ってこれじゃないの?定時に出勤し、業務内容を一生懸命遂行し、定時に退勤。そしてお金を貰って、そのお金で休日に好きなことをしたり、好きなものを買ったりするのが社会人ってもんじゃねぇの?

 「要」を失った扇は、バラバラになって役目を果たせない。それと一緒で、何事も「要」を失えば、散り散りになって暴れ回る。この業界がいい例だ。古臭い法律で縛り上げ、「授業は教師の本分」と謳いながら「授業研究は教師が勝手にやっていることだ」とかのさばりやがる。国が大声で矛盾を叫んでいる。何とかしろって。勤務時間外にやらなきゃいけないことがある時点でおかしいし、それをやりたがる先生は、追加で見合った金貰ってしっかりとやりゃいい。早い所その「要」を見極めないと、現場経験あってそれが当然だと思ってる人間ばかり採用して若い声吸収していかないと、未来永劫このままで、人員は完全に枯渇するよ。現に俺の見てきた新卒はこの世界に耐えられず去ってしまったし、俺も含めて若い人員が潰れてくの何人も見てきてるよ。昭和のベテランがそれを「当然」として頑なに変えようとしない限り、この苦痛から逃げられないだろうけど。

 時代の波に流されている業界である。その波に揉まれて溺れるのではなく、その中の「要」にしがみついて波に乗って改革していかないと、置き去りにされて呑まれる人間はどんどん増えていって取り残された人間がもっと苦労するぞ。やりようはいくらでもあるだろ、俺は知恵なんて微かなもんしか持ち合わせちゃいないけど、無い知恵絞ってもやりようはあると思うんけどなぁ。

 今回の一曲は、体育祭の空と、妹の心の靄を払ってくれた空手家の朋輩に向けた一曲。流石「露払い」を自称するだけあって、無事体育祭は雨も降らずに開催できたし、曇天の心をも払うとは。最強だね、俺の朋輩。今度海鮮丼でも作ってやるからいつでも来い。待ってるぞ。

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