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渦中から君へ17

今週はずっとぐずついたお天気が続いたけれど、終わってみれば予定通り毎日ばあばのうちに行き、ぼくは農業をやり、君はばあばとたくさん遊んだ。
今日、みおさんから腕が太くなったねと言われた。今週はとくにキャベツや白菜の出荷をやっていたから久しく眠っていた筋肉が活性化しているのだろう。残念ながらこれも一時的なもので、月が変わればまた少しずつ筋肉も寝床に帰ってしまうだろう。

いくらぼくが代わりに働いていてもばあばも出動しなければならないときがある。
それは例えば運転が許されていないベトナム人研修生たちを畑まで送り迎えをするときなどなのだが、君はどうしてもその研修生たちが苦手なようだ。今は二人の研修生がいて、彼らはよく働き、とても好青年なのだけれど、君はどうしても怖がって近づこうとしない。彼らはにこやかに迎える気満々なのに。今日などはばあばが彼らを畑に迎えにいくために君を車に乗せようとしたのだが、泣き喚いてどうしても乗ろうとしなかったのだそうだ。
白人のサンタクロースが保育園に現れたときや、オーストラリア人の友人ロブがうちに来たときも君は怖がってはいた。しかし、ベトナム人の彼らは見た目もほとんど日本人と変わらないから不思議だ。彼らもきっと悲しく思っているんじゃないかな。

今晩もぼくは走ってきた。
またしても金曜の夜。
緊急事態宣言が解除され、休んでいた飲食店の多くが再開しているはずなのだが、思っていたほどの変化はなかった。どこも静かで、人も少ない。雨が降っていたせいもあるのかもしれないけれど、まだまだみんな緩み切ってはいないんだなと安心した。

ぼくは走りながらあるゲームをしている。
それは週に2回走るうちの一日目に走ったコースを、二日目で逆回りで辿るというゲームだ。
そんなの簡単なんじゃと思うかもしれないが、これが意外と難しいんだよ。
毎週、微妙に走るコースを変えているし、住宅街の道はけっこう入り組んでいる。走るときは音楽を聴きながら考え事をしているし、いろいろ目印を頭に入れながら間違えないように注意していても、一本、二本、曲がり角を間違えてしまうことがほとんど。わかりやすい道を辿ればいいだけなのだけど、要するにそうやって自分を試すことを楽しんでいるのだ。
辿った道はRunkeeperというアプリで確認できる。これはタイムや距離、平均ペースなども記録できるので本当に重宝している。農業をはじめてからどうしても足に疲れがたまっているため、最近は時間がかかっている。だいたい1キロ30秒くらい遅いペースになってしまっている。

グーグルマップ上に自分が走った経路が水色の太線で示される。それは週ごとにぜんぜん違うかたちになっていておもしろい。そして敬愛するポール・オースターの「ガラスの街」のことを考えないわけにはいかない。
「ガラスの街」では探偵に扮した主人公がある男を尾行するのだが、その男はニューヨークの街をゴミなんか漁りながらあてもなく歩いているだけのように見えていた。しかし、ふと主人公がその男の辿った経路を地図に落としてみると、なんとそこにはアルファベットが現れる。それを日毎に追っていくと、それがある単語になっていくことを発見するのである。

ぼくもついついそんなことをやってみたくなる。つまり走るコースを決めて文字を描き、それをつなげるとある単語になるみたいな。このRunkeeperを使えばそれはなんなくできるわけだ。

もちろんやらない。
たぶん大変だしね。
というか歩くならともかく、コースを暗記して走るとか、もうそれはランニングにならないあろうな。あ、違うこっちじゃない、あれ?どっちだ?ちょっと確認、あ、こっちか、みたいに何度も立ち止まってしまうことになるだろう。大通りや走りづらい道もあるからそういうのを避けたりとか、そういうこと考えると果たして書きたい文字をちゃんと書けるかどうか心配だ。
というかそもそもそうやって書きたい単語ってなんだろうか?
君の名前とか?
親バカにもほどがあるし、それやってぼくはうれしいかな?君はうれしいかな?

君の名前で考えてみると、まず頭文字のSを描こうとすればぼくは家に帰れないことになる。ていうか、ほとんどのアルファベットは一筆書き難しいよね。まぁ、やりようはあるのかもしれないけど、やっぱめんどい。普通に走るわ。


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