「頼る」と、「甘え」の境界線
私は、人に頼るのがめちゃくちゃ苦手。
本当にどうにもならないこと以外は、全部自分でやろうとしちゃいます。
というのも、私の脳内で「それって甘えじゃん?」と囁く、もう1人の私(自己否定感)を黙らせるためです。
でも…近頃、1人だけで全てを成すことに、うっすら疑問を抱き始めました。私が忌避しているのは、本当に甘えなのか?
それを判断するため、「頼る」と「甘え」の違いについて、自分の考えをまとめてみようと思います。
念の為言及します。これはあくまでも私の答えです。普遍的な真実を述べるものではありません
さて、頼ると甘えの共通点といえば、なんでしょう。「相手の力を借りて、問題を解決したり、目標を達成すること」だと、私は思いました。
では、頼ると甘えの違いってなんでしょう?
うーーーーん…すぐには思いつきませんでした。
そんな時には、紙とペンの出番✒
イメージを書き出してみます。
私の場合、アウトプットは紙の方が捗るのです
※字がヘロヘロなのはご愛嬌
こうして見ると、甘えと頼るでは、「自らが主体となる」ことへの覚悟が違うように感じます。
甘えの場合、「誰かなんとか私を助けて!」と相手に縋ります。助ける責任は相手にあり、自身は救われる立場だ、というスタンスです。
※主役ではなく、主役に救われるヒロインになりたがる印象
対して頼る場合、あくまでも責任者は自分です。自身を助ける方法は自身が考え、行動します。
そして、苦手や無茶になる領域について、頼る相手に補助を依頼します。
※自分自身が主役であり、頼る相手は味方のキャラクターという印象
この結論…すごく重たく、厳しいと感じました( ºωº ;)
つまり、甘えを避けるなら、自分のことは、常に主体となって行動せねばなりません。頼る相手は補助役以上でも以下でもないからです。
そして、この「頼る相手」は、他人であるとは限りません。自分自身の体や心に、甘えてしまうこともあると、私は思いました。
・仕事が忙しいから、自分の身体に鞭打って働かなきゃならない。
=自分の「身体や体力」に甘えて、「仕事を休む/転職する」という決断から逃れている
・私は人見知りの病気(社会不安障害)だから、ひとりぼっちで不幸に生きるしかないんだ。
=「病気の絶望感」に甘えて、「病気と付き合いながらできる、誰かと幸福になる方法探し」から逃れている
・また失敗した。私は弱いから、失敗ばかり繰り返すしかないんだろうな
=「自分の弱さ」に甘えて、失敗から学んだり、成長することから逃げている
以上の例たち、全部私です。私なのです。
私は、行動するのが怖いから、他者が怖いから、「私自身」にどっぷり甘えまくっているのです。
もちろん、たまには甘えも良いでしょう。
というよりも、誰にだって休憩は必要であって、充電が終わるまで他者/自分の心身に助けを依頼する事は、甘えではなく「頼る」と呼ぶべきでしょう。
しかし、いつまでもいつまでも、行動や決断から逃げていてはいけない。それは、甘えです。
私は私を幸福に導くため、決断し、行動し、主体となる覚悟を持たねばならないのです。
めっちゃ厳しい、泣きそう( ˙꒳˙ )
でも、自覚しちゃったもんはしょうがない。
そうだなあ…40歳。
40歳になるまでに、私は私に甘えることを辞める。
とりあえず、愛おしくも厳しい人生の目標が出来ました꜀(.௰. ꜆)꜄グエ-
まずは、私が私として幸せになるため、何をすべきか考えなきゃなりません。
14年ありますし…ゆっくりのんびり、でも確実に、前に進みたい!です!(`・ω・´)