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オスカー国際長編部門について思うこと

オスカーにおいて、主要部門とは別の作品にスポットライトが当たる(はずの)国際長編賞。何年か前までは外国語映画賞と呼ばれていたこの賞は、要するに英語以外の作品に与えられる作品賞的なものです。アカデミー賞創設初期から、名前を変えつつ存在してきました。

国際長編賞は、各国から代表1本が選出され、100本あまりの中から5本の候補作品が選ばれます。昔から常連で入ってくるのは主にヨーロッパ映画で、特にフランス、イタリアが最強、そこにドイツやスペイン、スウェーデンと言った国が続くのが定番でした。アジアの中では日本はかなり強く、古くは黒澤明から最近では濱口竜介と言った監督がノミネートや受賞をしています。

このカテゴリー、本来は各国を代表する作品が選出されるものなのですが、最近かなりイレギュラーな流れがあります。それは、国を代表するはずの作品が、必ずしもその国の監督によって作られていないことや、その国の言葉を話していないケースが頻発していることです。たとえば昨年の受賞作『関心領域』。こちら、ドイツを舞台にしたドイツ語の作品ですが、イギリス人の監督によってイギリスの資本で作られたため、オスカーはイギリスに授与されました。受賞国がドイツと思った方は多かったのではないでしょうか。また、日本の代表として候補になった『Perfect Days』はドイツ人のヴィム・ヴェンダース監督によるものでした。こちらは日本を舞台にした日本映画ではありましたが、国を代表する作品が、その国の監督のものではないというところにモヤモヤした感じを受けたのも正直なところです。この現象は今に始まったことではなく、例えば黒澤明監督は1975年度に『デルス・ウザーラ』で受賞していますが、こちらはソ連映画でした。

今年の本部門、現時点で最有力と考えられているのがフランス代表『Emilia Perez』ですが、こちらはスペイン人やアメリカ人の俳優が主演する、スペイン語の作品です。フランス人のジャック・オディヤール監督作品で、資本もフランスなので、フランス映画に間違いはないのですが、ちょっと違和感があります。また、同じく有力と考えられているドイツの代表『The Seed of the Sacred Fig』は、イラン人監督によるペルシャ語作品です。こうなってくると、「国の代表」と言うのが何を意味するのか、正直よくわからないと思っているのは私だけではないでしょう。

ここ10年で目覚ましく国際化、多様化したアカデミー賞。それと同時に、世界中の映画業界全体も国境がなくなり、どんどん共同製作が進むようになっています。このコラムの文頭に「はずの」と書きましたが、それは最近のオスカーでは、国際的な作品が主要部門にもノミネートされるようになり、英語作品と区別して考える必要がなくなりつつあるからです。もはや「国の代表」と言う言葉があまり意味をなさなくなってきた今、国際長編部門は、名前だけではなく選考の基準もそろそろ見直す時が来たのではないかしらと思う、今日この頃です。

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