拝啓、村上龍さま。あなたが私の人生を決めました。
最初の感想は、「なんで誕生日に本やねん」だった。
福岡に生まれ育って13年目のあの頃、馴染みも何もない関西弁が内心飛び出してしまうくらいには驚いた。忘れもしない、13歳の誕生日のことである。
もともと幼い頃から活字が大好きだった。
絵本、青い鳥文庫、ライトノベル、世代に合わせて好みは移り変わりながらも、読むものがなければ辞書も生徒手帳も説明書も好んで読んだ。左脳しか無いのかと思いたくなるほど数学的思考も視空間認知も壊滅的だったけれど、自分で言えてしまうくらいに国語は読むのも書くのも得意な子供だった。
今まで本は惜しみなく与えられてきたから、まさか誕生日プレゼントとして両親から本を貰うなんて思いもよらなかった。それも、読みたいと思ったことすらない、分厚くて重たくて眩い黄色の表紙をした本。
それが人生を決める本だとは夢にも思わなかった。それが、わたしと「新・13歳のハローワーク」の出会いだった。
後に両親から聞いた話では、13歳の誕生日にはこれを贈ろうと前々から決めていたらしい。娘は本が好きだしきっと喜ぶだろうと。「なんで本やねんって思った」と告げるとヒイヒイ言いながら笑っていたっけ。とにかく、それほどに正直戸惑う誕生日プレゼントだった。
とはいえ、ちょうど進路に悩んでいた時期でもあった。
医療従事者の両親に憧れて、父と同じ理学療法士か、頭痛持ちの母を救えそうな薬剤師になろうと思っていた。けれど「体が小さいからあおいは大変だと思う」と同じく小柄な父はそう言うし、薬剤師はスタートラインに立てないほど理数系の科目が壊滅的だった。ちょうど自分のことを少しずつ俯瞰できるようになってきて、「将来の夢」の項目に希望的観測だけで物事が並べられなくなってきた頃だった。
医療系に興味はある。でも適性で考えると文系。それなら活字や日本語が好きだから、日本語を武器にできる仕事のほうがいいのかな。
そんなふうに思いながら、様々な職業とその説明がずらりと並んだその本を捲り、真っ先に開いた医療関係の項目で出会ったのが、言語聴覚士という職だった。
これだ、と思った。言語に関わる医療職!
わたしがやりたかったこと、得意だと思えることの折衷案がここにあった。それから何度となくそのページを開いては読み、これだ、と心躍らせ、閉じ、を繰り返した。ただ開きぐせがついたにすぎないことにも気付かず、いつのまにか読むたびに自然とそこが開くようになったことを「天職だからに違いない……!」と確信していた。
随分と幸福な頭をしていたと思う。
そのうえ、「ねえ!わたしこれになる!」と父に言ったとき、父は言った。
「ああ、向いてるんじゃない?」
決まった。
その一言が決定打だった。
決まってしまえば話は早い。ずっとわたしは言語聴覚士になるのだと思い続け、言語聴覚士になる方法を調べ、中学を卒業するときには大学の志望先まで決めていた。そしてそのまま第一志望にしていた大学に進学した。
それから11年が経った。
わたしが言語聴覚士として病院で働くようになってから、もう次の春で4年目を迎えようとしている。
13歳になったばかりのあの頃、まさかこんなふうに本当に言語聴覚士になるとは思っていなかった。
働くことは楽しいことばかりではないと思い続けてきたし、今だってそう思っている。たしかに舌打ちしたくなるようなことも、泣きながら自転車を漕いで帰るような日もある。
でもやっぱり、わたしはこの仕事が好きだ。
たぶんタイムマシンが出来たとしてあの頃に戻れたとしても、わたしは今の仕事を選ぶ。あの本に載った数多ある職業の中から言語聴覚士を選んだ自分にハイタッチしたいくらいだ。
拝啓、村上龍さま。
あなたの本のおかげで知り、10年近く思い続けて就いた我が職業は、今のわたしにとっても夢であり続ける光です。