配信者を覗きに行って、自分との試合をボロクソにこき下ろされてるのを見た時に読む文章
タイトルだけで出落ちになってそうだが、この話も繰り返し繰り返し語られていると思うので所見を書き残しておこうと思う。
〇結論
そのボロクソにこき下ろされてる評価こそが極めてフラットな目から見た自分の評価である。
〇『踏み込んだコミュニケーション』と『空気の読めない人』
日常生活におけるコミュニケーションなんて「天気がいいですね」やら「道が混んでてね」やら「近所に〇〇ができてね」なんて他愛の無い話から始まる薄いものであると思う。
その後もいいとこちょっとした趣味の話をしたりだとか、最近見に行った映画が 面白かった事の感想を言い合ったりとかそんなもんだろう。
信条の話をしたりだとか、哲学の話をしたりだとか、愚痴の話をしたりだとかはかなり『踏み込んだコミュニケーション』である。
何故ならそれらを全面的に否定されると今後の付き合い方を変えていかざるを得ない状況に立たされる可能性が高く、受け入れてくれるという確信が無いと通常は中々難しい。
こういった『踏み込んだコミュニケーション』を平気で易々としてきたり、そういったコミュニケーションへの返答に配慮が無かったりするのがいわゆる『空気の読めない人』と言われる。
こういった人達は『距離感がおかしい人』とも言われるが、多くの場合で他人の感情の機微に興味があまり無く、自己の主張の押し付けに終始してしまう事に起因する。
一方で、他者からの主張の押し付けにも鈍感かというと決してそうではない。
極一部、感情の動きみたいなものにそもそも興味が無く、自己⇔他者の両方向共に鈍感なパターンがいるものの、ほとんどは逆に自分に向けられる感情に対して非常に敏感なパターンが多い。
これはそもそも何故そんな『踏み込んだコミュニケーション』を易々とできるかという理由の多くが、自己が他者に受け入れられて当然の存在であるという自己肯定感の高さから来るパターンが多いためだと推測している。
〇ゲームにおけるコミュニケーションの踏み込み具合
あまり意識している人を見ないが、ゲームを一緒にプレイするというのは、非言語的ながらも実際はかなり濃密なコミュニケーションだ。
いきなり初対面の人に「ダウン取って+3F起き攻め状況でとりあえず投げ重ねとくけどお前はどうする?」なんて事は当然聞かないし、「初回ドローでサマルトリアの王子を引いたけどどんな気持ち?」なんて事も聞かない。
もちろん「お前は前衛ミニオンを1発殴ってしまったのでこれからJgが来ない限りお前は一生CS取れないけどどうする?」と聞く機会も中々無いだろう。
ゲームのルールという複雑な共通言語を理解した上での『踏み込んだコミュニケーション』がそこには確かに存在する。
一方で、案外こういった『踏み込んだコミュニケーション』を相手の感情の機微を考えながらやっているという人は少ない。
ある特定ゲームをプレイする理由が「勝ちたいから」な人にとってはそういった相手の感情の機微は多くの場合で無駄な要素だし、そうでない人でも多くの場合で相手の感情の機微なんて考慮している余裕は無い。
つまり、ゲーム内で起きているのは(特に一期一会のランクマッチシステムで起きているのは)ほぼ『距離感のおかしい人達』による主張の押し付け合いである。
しかし、そういったゲームの中の大部分を占める『距離感のおかしい人』は日常的に距離感がおかしいわけではなく、実際はかなりの割合である程度コミュニケーション能力が十分にある。
試合中は難しいかもしれないが、後々振り返ってみると、ゲーム中で自分がどの程度『踏み込んだコミュニケーション』をしているかが何となく認識できてしまう。
一方でそもそも日常的なコミュニケーションにおいても『距離感がおかしな人』はどうなるかというと、日常とやってる事とほとんど変わらないため、その差を認識できないのだ。
〇配信者はただの一人の人間であり、表現者である。
今や大手事務所に所属している配信者は、発言に対して炎上の多大なリスクを含むため言葉を選ぶだろうが、そうではない数多の配信者達はそういった制約に縛られないただの一人の人間である。
面白かった事は「面白い」と言うだろうし、気分が悪かったならば「気分が悪かった」と正直に言うだろう。
何ならそういった感情的な配信をする事で人間臭さが出るし、人気も集めているはずだ。
特に知らない人に『踏み込んだコミュニケーション』をされたら当然気分は悪くなる。
だから対戦後に文句を言われるのはある程度当たり前なわけであり、仮にその現場を目撃してしまっても十分な日常的コミュニケーション能力がある人は「そら怒るわ」とある程度納得をする。
一方で日常的に『距離感がおかしい人』は大きなショックを受ける。
自分が思ってる自分の行動の評価と、相手が思ってる自分への評価が現実的に大きく解離している証言を突き付けられるのだ。
それが一度ならともかく、二度も三度も発生する。
では何故日常的にその『距離感のおかしい人』がそういった事を経験してこなかったか?
十分なコミュニケーション能力をお持ちの方はもう分かってるであろうが、日常ではそういった『距離感のおかしい人』とは関わらないようにみんな物理的な距離を置くし、『距離感のおかしい人』が逆上した時に何をしてくるか分からないから問題を先延ばしにしたりしているのだ。
そういった問題に対して関係が薄い他者である配信者が中立的な視点で評価を下したに過ぎない。
配信者は大体の場合ただ当たり前の感情と向き合っているだけであり、そこにあるのはいたって正直な他人から見た自己の行動への評価である。
〇子供はちゃんと暖かい目で見よう
こういった『距離感のおかしい人』は多くの場合で子供である。
そもそも自己肯定感がある程度高くないと起こらない問題でもあるし、自己肯定感が無いというのもそれはそれで問題である。
誰もがこういった失敗と向き合う事によって、適切な距離感とは何なのかを認識して成長していく。
ショックを受けてる子がいるならば、一緒にどう改善していったらいいかを一緒に考えてあげる事が大人としての役割だ。
ただ、『距離感がおかしいおっさん』が発生した場合はみんなただちに逃げよう。
インターネットが一般化されてしまった今、ここですら彼らの居場所では無いのだ。