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「前を攻めろ」「前を見ろ」というあいまいなコーチングで選手が上達しない理由

ボールスポーツにおいては、
対戦相手がいることでもあるので、
すべてを自分がコントロールすることは難しい。

それこそ、毎回毎回同じ答えを出すことが
その瞬間の最適解であるとは限らない。

そのあいまいさが、
難しい部分でもあり、面白みがある部分でもある。

「前を見ろ」という指導

プレイをしていると「前を見ろ」と指導される時がある。

「みる」という行為に対して、
「見る」「診る」「視る」「看る」「観る」
というように、微妙なニュアンスの違いが出てくる。

しかし、指導現場においては、
「前を見ろ」
という一言で終わることが多い。

目の前が空いてるだろ。
数的優位じゃないか。

そんな情況になっているときに、
「もっと前を見ろ」
という言葉が出てくるのかもしれない。

トレーニングにおいて、
「前を見る」ということが落とし込まれているのであれば、
それでいいのかもしれない。
逆にその一言で察して把握するのであれば、望ましい。

ただ、
「いま、前が空いてたじゃん!」
「いまはパスじゃん!」
「いまはシュートしちゃダメじゃん!」
って結果論を持ち出して、
「前を見ろ」と言われても、
選手は結果論だけが残ってしまう。

「前を見る」という定義

「前を見る」ということがどんなことなのか?

それを定義してあることが大事になってくる。

いつ、だれの、どこを、どんな風に見るのか?
それに対して、どう対処していくのか?

これらを整理して落とし込んでいるのであれば
「前を見ろ」というコーチングは、
端的かつ、選手の判断を促すことができる。

全員の共通認識が大事

私は、「前を見る」という行為に対して、
「チェック」という言葉を使うようにしている。

そのほうが、こちら側がしてほしい
「前を見る」という行為にフィットすると考えているからだ。

漠然と前を見ている。
首を振っている。
だけでは物足りない。

人というのは、「見ようと思わないと見えない」ので、
見るというよりも、意識的にポイントをもって、
「チェックする」ことのほうがしっくり来ている。

言葉のチョイスは人それぞれだが、
集団や組織が、その一言で何をすべきかわかるようなところまで、
意識とその後の行動を落とし込んでいきたいものだ。

「前を攻めろ」をどう定義するか

読者の皆さんなら、
「前を攻めろ」というコーチングに関して、
どう定義するだろうか?

「1:1にいけ」
「フェイントをかけろ」
「シュートを打て」
「何かしろ」

なんでもいいが、
選手が「前を攻めろ」と聞いたときに、
何をすべきかわかっていない状態というのはあまりよくない。

再び私のことで申し訳ないが、
「目の前のDFに影響を及ぼす」
「目の前のDFにダメージを与える」
「隣のDFまで影響を及ぼす」

という感じで伝えている。

「前を攻めろ」と言われて
シュートモーションを一生懸命に作ったとしても、
ゴールから20m離れたところだとDFは動かない。

目の前のDFに影響を及ぼすような、
少なくともDFの重心移動を伴うような移動をさせるくらいの
アクションをする正しい位置にいなければならない。

だからこそ、人による。

選手によって得手不得手があるように、
シュートレンジが違うので、
DFに影響を及ぼす距離感というのも違うのだ。

トレーニングの中で、
前を攻めるというのはどういうことか?
というものを落とし込んで、
自分のやり方、方法を模索していくことが大事だ。

まとめ

「前を攻めろ」とか「前を見ろ」というコーチングは
指導現場において頻繁に聞かれる言葉だと思う。

ただ、選手がそれを理解して、納得して、イメージできているかどうかは、
また別の話である。

トレーニングにおいて、
指導者が発する言葉の定義をしっかりとしておくこと。
そして、試合中は端的でわかりやすい言葉で
コンセンサスを図れること。

試合中のコーチングを効率的に行うためにも、
とても大切なことである。

みなさんの指導現場においてご一考くだされば幸いである。

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Atsushi  Mekaru
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