指導者から言われた忘れられない言葉#3
【教えるー教えられる】という関係性がある場合、
【教師ー生徒】、【上司ー部下】、【指導者-選手】という関係性ができるのが一般的だ。
誰しもが教えてもらう、ということを経験すると思うが、
誰しもが教えてもらうという過程で忘れられない言葉や出来事があるはずだ。
Meka san as you like
ハンガリーでプレイしていたときに監督に言われた言葉だ。
その瞬間に大きな感動を覚えた。
「この人は認めてくれたんだ」
「信じてくれているんだ」
とうれしくなったことを覚えている。
ただ、うれしくなったのはいいが、
時間が経つにつれてだんだんと怖くもなってきた。
ハンガリーでプレイして2年目の監督に言われたことがある。
「お前のフェイントは誰にも止められない。」
正直、日本でプレイしているときは、
そんなこと言われたことは一回もない。
お世辞にもフェイントができる選手ではない。
なぜならば、もっとフェイントができる選手が他にいたからだ。
しかし、ところ変われば、、、である。
ハンガリーリーグの中では相対的に
「フェイントができる方」だったのだ。
その特徴を認めてくれて、
監督はそう言葉をかけてくれたのだと思う。
チームの攻撃の中心に、
私のフェイントを組み込んでくれた。
「チームが攻撃のきっかけの中でスペースを作るから、
Meka はそこでプレイしろ」
という感じだった。
そこで発せられた言葉が
「Meka san as you like ,up to you!!」
だった。
自由を与えられたからこその責任
Meka のためにスペースを作るから、
そこで何をしてもいい。
フェイントをしても、シュートを打っても何してもいい。
スキにプレイしろ。
そんな感じで言われたことを覚えている。
私は自由を与えられたのだ。
チームという規律の中での自由を与えられた。
これは監督が認めてくれたんだ。
信頼してもらっているんだ。
と感じて、うれしかった。
本当にうれしかった。
でも、そんな時間は束の間だった。
うれしさが大きくなっていく一方で、
恐怖心が出てきた。
自由を与えられたからこそ、
その責任は大きくなる。
自由の幅が大きいほどに、責任も大きくなる。
裏を返せば、
その自由において、結果を出せなければ、
「あいつはだめだ」
という判断が下されるということでもある。
プロという世界でプレイしている以上は、
結果を出さなければならない。
自由を与えられた反面、
とてつもなく大きな責任を持つことになった。
自由だからこそ考える
自由を与えられて考えたことは、
そこで何ができるか、
何がしたいのか、
ということだった。
管理されるのではなく、
ある程度の裁量があるからこそ、
自分のやりたいプレイを考える。
なんでそのプレイをしたいのか考える。
自分のやりたいプレイをするためにどうするかを考える。
どんな準備が必要なのか考える。
自由を与えられて、圧倒的に考える量が増えた。
それは責任というものがあったからなのかもしれない。
結果的に、その自由という状況下において、
どんなプレイをするかを考えていくと、
これまで以上にトレーニングして、
これまで以上に自分のプレイを探求することにつながった。
自由というものを与えられて、
責任というものを感じて、
自分のプレイを探求していく中で、
選手としてのパフォーマンスも上がったのだと思う。
指導者が気をつけなければならないこと
ただ、何でもかんでも自由を与えればいいというわけではない。
何も持っていないのに自由を与えたところで、
そもそもの選択肢がないのであれば、
何をしたらいいのかわからないし、
聞こえはいいかもしれないが、放任主義だ。
考えることができる、
元からできる選手が集まっているのであれば
それで結果が出るのかもしれないが、
特に育成年代ではそこまで至らないことが多い。
かといって、あまりにも制限をかけすぎるというのはおススメしない。
なぜならば、制限をかけすぎるということで、
選択肢があまりにもなくなってしまい、
思考停止になってしまうからだ。
この状況はこれ。
指導者が言ってるからこれ。
これをしていたら怒られないからこれ。
成功してもしなくても指導者が満足するからこれ。
となってしまっては選手の個性も出てこないし、
状況に応じてフレキシブルに対応する選手が出てくることは考えにくい。
指導者のさじ加減がポイントになる。
あまりにも自由を与えすぎてもベクトルが定まらない。
あまりにも制限をかけすぎてもプレイの広がりが出ない。
あまりにも管理をし過ぎても考えて取り組む選手は生まれない。
だからこそ、指導者がプレイに対して
どれくらいの自由と制限のバランスをもってプレイを求めるか、
評価するのかというのがポイントになってくる。
指導者が望む動きをしているのであれば
それで満足、という指導者がなかなかにいる。
なんなら、事細かに練習を組み立てて、
そのスケジュール通りに進めば満足する傾向もある。
本当に大事なのは、集団のパフォーマンスの最大化なので、
スケジュール通りに行くかどうかよりも、
選手がより良くなっているかどうかが大事だ。
緩やかな制限下においての個人の自由の裁量。
ある程度の決まった動きの中での得意とするプレイの選択。
それをどの程度認めて、組み立てていくのかは、
指導者のチーム作り、さじ加減ということになる。
まとめ
選手に適切な自由を与えるとパフォーマンスは伸びる。
しかしそれは、何でも好きなことをしてもいいというわけではなく、
そこでの責任をとれるという選手になれるということが大事だ。
責任感が人の意識を変えることがある。
それはスポーツに限らず、いかなる場面でもそう。
最初から責任を伴う自由を最大限に楽しめる人はいない。
だからこそ、指導者は適切な制限や
ベクトルの修正と改善をしなくてはならないのだと思う。
そして、自由を与えたのであれば、
その最終的な責任は指導者にある。
自分がその責任をとれる場合において、
選手にも同等の自由と責任を与えればいい。
そのリスクを選手が感じるからこそ、
信頼というものになってくるのだと思う。
追記
この言葉をかけてくれた監督は、
現在のハンガリー代表監督になっている。
そしてそのハンガリーが世界選手権においてドイツに勝った。
心底嬉しい。
とてもうれしい。
何かしらのつながりがある人が、
今日もどこかで元気に活躍しているのが、
私の元気になる。
お陰様で今日も活かされてる気がする。