黄金言葉からコーチングを考えるVol.2
沖縄には黄金言葉(くがにくとぅば)と呼ばれるものがある。
先人からの教えというか、沖縄版ことわざというべきか、
語り継がれている言葉だ。
命どぅ宝(ぬちどぅたから)は有名かもしれない。
標準語で言うところの金言とか名言みたいなものに当たるのかも。
この黄金言葉というのは、実生活はもとより、
やはり競技生活においても活かされている。
いや、それらを競技生活につなげるということが大事なのだと思う。
先日、沖縄のラジオを聴いていて、
この黄金言葉を紹介していたので、私としても備忘録として残しておきたいし、競技生活につなげるという部分でもここにまとめておきたいと思ったのでnoteにすることにした。
なんくるないさ
「なんくるないさ」
という言葉を耳にしたことがある人は結構いるかもしれない。
沖縄ブームの中で、「なんくるないさ」という言葉は広く知られたことだと思う。
一般的に「なんとかなる」「大丈夫よー」みたいな、
能天気で、見方によっては適当な感じも受けるかもしれない。
しかし、この言葉には枕詞がある。
「【まくとぅそーけー】なんくるないさ」
これは、
【誠のことをしていると】(正しいことをしていると)
何とかなる。誰かが助けてくれる。
という意味合いになる。
沖縄の人間が時間にルーズだとか、
適当な印象を持つ人は少なくはないのかもしれない。
けれども、この「なんくるないさ」は
一般的に考えられている意味合いとはちょっと違う。
やることやってる人が言う言葉
「なんくるないさ」はやるべきことをやってる人間が言う言葉だ。
人事を尽くして天命を待つ
果報は寝て待て
に近い。
できることはやって、
いまできるベストを尽くした人間だけが、
心穏やかに結果をまったり、
勝負に向かうことができる。
できることをやっていない人間や
求める結果に対して準備が伴っていない人間に対して、
「なんくるないさ」はあてはまらない。
そうなると周りで見ている人も適当な発言になってしまう。
「まくとぅそーけーなんくるないさ」
が正しいことを積み重ねている人間にかける言葉であり、
それだけの自信がある自分に言える言葉だとしたら、
できることをしていない人間や、
このままでは足りないという時間を持っている自分に対しては、
「ぬーんさーんくとぅちゃーんならん」
(何もしなかったら、どうにもならない)
ぐらいがあてはまるかもしれない。
闘争と逃走
人生は闘いである。
闘いたい自分と逃げ出したい自分。
両方があって、どちらか選択する。
この選択する、決める、というのが、
大きなストレスになる。
無理はしたくないし、楽はしたい。
誰もが思うことだし、不思議じゃない。
スポーツの現場においては、
困難に立ち向かってこそ、強くなる。
部分がある。
過負荷の原則があるように、
少しずつ負荷を高めていくからこそ、
上手にうまく強くもなる。
この厳しいトレーニングに耐えたら、
もっと強くなるんだ!
と思い描けているうちはよい。
闘争だ。
この未来におけるより良い自分が描けないのであれば、
その場を離れた方がよい。
逃走すればよい。
そもそも、スポーツも学びも趣味も、
自分の人生を豊かにするためにある。
どんなコミュニティに入っているか、
その数は多い方がいい。
一つがだめでも他の居場所があるから。
でも、無理して我慢して、同じコミュニティに居続ける必要もない。
その場を離れるという勇気も大事だ。
諦めながらただ過ぎていく日にだって実は闘ってる
とドリカムも歌っている。
闘って闘って、何も変わらないと思うような毎日も、
実は相当なストレスを抱えながら闘っている。
もし、その先により良い自分がイメージできないのであれば、
はやりその場を離れた方がいい。
何かを始めることも大事だが、
何かをやめるという勇気も大事だ。
人生は闘いだ。
闘争と逃走のはざまで闘っている。
そのどちらにおいても、
「なんくるないさ」
である。
闘っているときは、
この先、きっと実を結ぶ。
という「いつか」を楽しみに。
逃走したいときは、
大丈夫、何かを失っても命までは奪われない。
という「多少の楽観」を武器に。
そもそも、逃げ出す、離れる、という決断をしただけすごい。
辞めるという選択をしただけ、
闘っている。
逃走への闘争をしていることになる。
まとめ
闘う勇気は大事だ。
辞める勇気も大事だ。
逃げ出す勇気も大事だ。
どちらを選択するにしても、
自分で決めたんなら、なんとかなる。
中途半端ではなく、全身全霊で取り組んでいるなら、
何とかなる。
うまくいかないときに、
自分の信じることをやめてしまったり、
人のせいにして逃げ出したり、
正しさを失ってしまってはいけない。
「まくとぅそーけーなんくるないさ」
誠の道を歩む勇気はを忘れないようにしたい。