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指導者は後悔をするもの。後悔していない指導者は根本的にだめ。
後悔しないように生きる。
とても大切なことだが、
それはいま現在や未来に対してのものであって、
過去においてはもうやり直せないし、
事実として残っている以上、
変えることはできない。
後悔しないように生きるということ
後悔しないように生きるというのは、
いまや未来において自分が納得できる選択をすることだと思う。
振り返った時に、
あぁすればよかった。
こっちを選べばよかった。
と思わないように、
その時点で考えうる最適解や納得解を出してきたのだと思う。
その時、その時点での、
最高の状態をもって選択しているということだ。
これだ!と思って選択しても、
怠惰な生活ややれるのにやらなかったりすると、
それは振り返った時に後悔する。
基本的にその時、その瞬間で、
最高の自分をもって選択し、
最善を尽くした人間は後悔することはない。
「人生最後」と「次がある」の違い
自分の人生なら、自分でリスクも責任も取れる。
だが、指導者となると、
自分の一挙手一投足や、指揮指導、決定が、
選手や部下の人生を変えることもある。
学生スポーツのように、
引退があらかじめ決まっているのであれば、
人生において最初で最後が決まっているが、
指導者となると、指導者を続けている限り、
チームを見続けることになる。
30年チームを指導すると考えると、
30のチームとなる。
人生において1/1である選手と
指導者生活の1/30である指導者が
同じなはずはない。
もちろん、指導者がそんな軽い気持ちでやっているかどうかは
最終的には人による。
ただ、指導者のほうが選手よりも
「次がある」というのは間違いない。
後悔していない指導者がだめな理由
後悔していない指導者がいたとしたら、
何が問題なのだろうか。
選手と同じような想い入れがない、というわけではない。
一番の問題は、
自分自身をアップデートできていないことだ。
過去の自分より成長して、
わかっていることも多く、
できることも多く、
問題も解決できるようになり、
許容範囲も大きくなって、
様々な選手や状況下でもチームをまとめて強くすることができる。
というふうになっていなければならない、はずだ。
しかし、アップデートしていなかったら、
ずっと同じことを繰り返して、
世界観が固まったままになってしまう。
自分の物差しから外れる選手をつぶす可能性が高くなり
はまれば伸びるかもしれないけども、
はまらなかったら芽すら出ない、ということになる。
きっと誰しも同じような気持ちになったことがあると思うが、
「あー、今の頭のままで過去に戻りたい」
と感じたことはないだろうか。
アップデートを繰り返して、
「いまが一番最強」
と思えるのであれば、
過去を振り返った時に、
あの時こうしていたらよかった。。。
そしたらもっとこうできたはず。
という風に、多少なりとも悔やむ瞬間があるかと思う。
もちろん、その瞬間で最善を尽くしていたのだから、
仕方がないことなのだが、
指導者として誰かの人生を多少なりとも預かっている以上、
その時の生徒たちにより良いものを提供できたかもしれない、、、
という想いは、出てくるだろう。
そのときのすべてをやり切ったとしても、
いま振り返ると、
もっと違うやり方があったとか、
効果的な方法はあったんじゃないか、
と内省することやグレードアップさせることにつながる。
まとめ
ここでは、後悔という言葉を使ったが、
私自身も後悔していることばかりだ。
しかし、それはそれで仕方のないことだとも思っている。
そのとき、その瞬間においては最善であり、
いま、いろんなことを学んで、
経験をしたからこそ、
過去を悔いたり、反省したりできる。
後悔というよりも、もっとはやく今の自分になっていれば、、、
という悔しさなのかもしれない。
その当時の人には申し訳ないが、
より良い自分になり続けて、
より良くなっていく選手を育て続けるしかない。
指導者や上に立つ人間は、
やはり、自分自身との対話が大事だ。
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![Atsushi Mekaru](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/286832/profile_1c4e7893ab6d344d56153573226cd99f.jpg?width=600&crop=1:1,smart)