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地元に伝わる桃太郎その2壮絶!空中戦20241119

温羅の本拠は鬼の城といわれる約400メートルの山の上にあった。「きのじょう」と読むが、百済で「き」とは
城のことである。日本語でも城を「き」と呼ぶ。これがいつも間にか混同され「きのじょう」の表記も鬼の城となっていった。本当はしろのなかのしろの大きな城という意味である。今も現地には6世紀ごろに作られた立派な朝鮮式山城がある。
当時の歴史書には一切書かれていない。つまり大和朝廷でない現地の住民が作った城である。この城は食料庫や井戸も
完備され頂上の周囲には頑丈な土塁が設けられている。この城をどうつかったのか。凧や熱気球そしてウランで水を沸騰させてプロペラを回して空を飛ぶ飛行機の発射台である。この他にもこの地域の山には大きな石をつみあげた発射台がいくつもある。奈良時代ぐらいまでに百済から伝わった百済の技術の高さは圧倒的である。当時の技術で作られた仏像や石像は今でもまねできない高い技術が施されている。仏像や石像は残っているがそれ以外の技術は印刷された経典ぐらいしか当時のものは残っていない。当時の百済から伝わった技術で印刷された経典の本物を見たことがあるが現在の印刷技術にほとんどみおとりしない鮮明なものだ。空飛ぶ気球や大凧、ウランで沸騰させた水でプロペラを回す飛行機から矢や火矢を放つ空中戦は当時としては最新の戦い方であった。温羅の拠点である総社盆地は周囲を300メートルから400メートルの山に囲まれている。山には見張り台ものろし台もありこうした空飛ぶ道具の発射場所でもある。大凧はハンググライダーの要領で、熱気球は木を燃やして飛ぶ。ウラン飛行機は高いところからプロペラを回しながら操縦するのでハンググライダーと
飛行機の中間の乗り物である。気球と大凧による攻撃は中国では秦の始皇帝の時代の前から使われていた。だがウラン飛行機はこの地の砂にたまたま高品質のウランが含まれていたのでこれを使って水を沸騰させてプロペラをまわし機体の上昇に活用した。いわばグライダーの補助に利用したのである。中国伝来の技術を各地の技術と組み合わせるのが百済の技術の優れた点である。大和朝廷も大凧と気球は中国の文献で読んで知っていたが、ウラン飛行機は知らなかった。さらにそうした空飛ぶ道具から放たれた矢や火矢の威力はすごかった。ウランを含む砂から作ったこの地の矢じりはどんな鏃よりも堅かった。大和朝廷の矢じりが固く楯をいぬいたという記述が多いのは、温羅たちが射た鏃を再び使って打ち返したものの
威力がすごかったということである。いずれにしろ技術では温羅たちのほうが圧倒的にすぐれていたのである。
温羅たちが押し気味に戦いは膠着状態になる。

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