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その116 数学的に生きる めかわぶんこ下北沢病院物語 20241119
その116 数学的に生きる めかわぶんこ下北沢病院物語 20241119
そろばんを習っていた時は数学は得意だった。正確に言うとそろばんをやめてしばらくは数学が得意だった。そろばんをならうと頭の中にそろばんができる。やめるとしばらくするとなくなる。学校の数学は計算を途中で間違うと点はもらえない。
したがって計算が正確でないと数学はできなくなる。小学校でそろばんをやめてから中学2年ぐらいから数学が苦手になった。というより数学の点がとれなくなった。
でも何より数学が好きだった。他の教科と違って正解かどうかが一発でわかるのが気にいった。論理だてて順番に考え方を示すのは他人に物事をわかりやすく説明するのに何より役立つと思っていた。小学校で児童会長、中学校で生徒会長、高校で生徒会の副会長を務めさせられた私は、人前で話をさせられることが多かった。この時最も役立つたのは数学的にものごとを順序だてて説明する方法だった。いわゆる証明である。高校の時も全く点はとれないのに文系で最も難しい数学を学ぶコースに入った。
宿題も全然できなくて毎日午後8時から午前2時まで数学を勉強。他の教科は勉強する時間がないので学校の休み時間で予習復習をやった。授業中も先生に数学の説明を求められても全く正解にはいたらず怒られまくった。その時先生にいつも言っていたのは、
「私は数学を毎日6時間かけて予習復習宿題をやっている。それでもこんなにできないのは教え方が悪いからだ」と開き直っていた。ついでに「この高校は古文の教師の教え方もひどい。この2教科の先生が悪いから入学した時は近年最も平均点の高い学年がいまや全くダメになっている。おまえら二人の責任だ。わかっているか。」と授業中何度もきれた。そのたびにともだちに「授業なんかに期待しちゃだめだ。授業は無視して自分で勉強しろ」といわれた。でも私は、本で勉強するのが苦手なのである。
誰かに説明してもらわないと頭にはいらないタイプなのである。本でひとりで勉強できるなら学校に行く必要はない。自分で勉強すると言う友達は家庭教師がいたり塾に行ったりと都会に住む裕福な連中である。村に住み公務員家庭の私には学校が一番の頼りなのである。それでも数学がすごいなと思うのは、家で全く他の教科は勉強しなくても数学的な考え方が身につくとマークシート問題は答えを見るだけで正解がだいたいわかるようになる。明らかな間違いを排除すれば正解はだいたい二つぐらいに絞れるからだ。当時の共通一次は数学以外はそのやりかたでだいたい9割はできた。
放送局の仕事をするうえでも数学はとても役に立った。番組の構成を考えるときも数学の証明を考えるようにして作るとわかりやすい。まず一つのテーマについていろんなことを時間の許す限り調べる。次に似たような特性の物事をグループにまとめる。
それを短いリポートでも番組でもだいたい7つに分けてその順番を考える。
それが構成になる。
7つのグループは特徴ごとにベクトルの長さと方向を決めそれに基づいてバランスよく配置する。最近はアナウンサーもディレクターも数学科出身が多い。
おそらくわかりやすく物事を伝えるのに数学は便利なのだ。
あと数学で便利なのは、まず小さくてうまくいく仕組みを考えられればそれを拡大すれば大きくなってもうまくゆくと言うことだ。この応用でどんなに田舎で貧しい環境で育ってもうまくゆく仕組みさえ思いつけば
それを大きな豊かな環境のなかで拡大しさえすれば物事はうまくゆく。
このことに気づいてから村育ちのコンプレックスがなくなった。
だいたい人生そのものをどう生きていくべきかという合理的な
考え方の基礎が学べる。人生で迷うことがほとんどなくなる。
あと生きる上で数学的な発想で最も役立つのは、確率でありその応用である
統計学である。統計は現在中学校では基礎を教える。アメリカに留学した人はご存じだと思うがアメリカの大学で日本人が一番教えてくれと頼まれるのは統計学である。
日本人は英語には難があるが数学ができる人が多いので統計学は教えられると期待されているのだ。だから中学校で習うようになった。学校のカリキュラムは驚くほど時代に即している。
35年ほど前の大学生の時、雲南省麗江という昔ながらの街並みが残り世界遺産に指定されている街でアンケートを中学の先生の協力を得て書いてもらった。あなたの民族は?親の仕事は?将来の夢は?尊敬するひとはだれか?。というありきたりの内容だったが尊敬する人は全員が周恩来だったのが印象的だった。毛沢東はいなかった。その苦労して集めた200人分以上のアンケートを教授にアンケートというものは1000人分以上集めないと統計学的に意味がないと破棄された。10年ほど前大阪大学の大学院で学んでいるとき地域住民に100人ほどのアンケートをとったときは統計学的に大丈夫だった。人間の目でみても明らかに差があるとわかるときに活用するχ二乗検定を使えばOKだったのだ。統計学の進歩で莫大な数のアンケートを今はとらなくてよいのである。
アンケートは群論いわゆるグループ論をつかってまとめることも多い。
視聴率調査などでも統計学は大活躍である。こうした将来の利用方法を
教えた上で中学生に統計学を教えればやる気がでるのではないかと思うのだ。
塾の先生でも統計学が日本人留学生の多くが期待されていることはあまり知らない。だいたいまだあまり高校入試にでないから熱心に教えてもいない。
私は塾で教えることを目指しているので日本の小学校と中学校の教科書をよく読むが
いずれも非常によくできている。おそらく良い家庭教師や塾教師は小学校から中学まで一度にまとめて教えているではないか。最初ざっと全体を教えて何のためにこれを学ぶのか高校入試をゴールにもう一度ゆっくり丁寧に教えるのがよいのではないか。
高校一年の時同じクラスに同じぐらい勉強の振るわない友人がいた。
お互いに将来の夢を話した。私はマスコミに進みたいと言い。友人はガンダムを作りたいと言う。私は少し考えて今度JAXAという日本のNASAみたいな組織ができたからここに入ればよいのではないかと答えた。ところが調べると東大京都大学などの
有名大学の工学部航空学科をでないと採用されそうにないことが分かった。それでも友人に言うとガンダムをつくれそうならやると言う。そこで彼に提案したのは小学校一年からもう一度算数と理科そして英語をいちからやりなおすことを勧めた。
私もそれをやりたかったが莫大な量の宿題のでる学校だったので私はできなかった。
だが友人は家が裕福だったので家庭教師と塾の力でやった。半年ほどでみるみる
成績をあげ一浪したものの京都大学の航空工学部航空学科にみごと入学。JAXAにも入った。
今は日本版の月着陸船の担当である。余談だが、ある政治家が「日本のスーパーコンピューターは世界一でないとだめですか」としつこく政府に詰め寄った時、政府はスーパーコンピューターの速度を4倍にして世界一を実現した。当時の日本一のスーパーコンピューターの計算速度をプログラムを書き換えて4倍にしたのは彼である。それ以降世界一の
スーパーコンピューターを目指す議論はなくなった。戦後一度も定員を超えた入学志望者が来たことのない私たちが卒業した高校だが、卒業生は頑張っている。
おそらく彼がガンダムをつくれるのは日本の月着陸船が成功したあとになりそうである。彼はNASAのジエントリー研究所という世界一のロケットエンジンの研究所に留学したが一年の留学予定だったのに半年で帰国した。昼間は朝から晩までテニスばかりしているインド人や中国人の同僚に朝から晩まで仕事をしている日本人は勝てなかったというのだ。上には上がいる。だが数学さえできればいろんな夢が大きく開ける。しかも人生設計を考える上でも数学の考え方は役に立つ。そのためにも小学生中学生にしっかり算数や数学を教えてあげたいのだ。