クラリネットアンサンブルでフリージャズ- クラリネットジャズ紹介15
15回目はTHE CLARINET SUMMITのSouthern Bells。
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John Carterが結成したグループ”THE CLARINET SUMMIT”による1987年の作品。エリントン楽団のクラリネット奏者でもあるJimmy Hamilton、ニューオーリンズ出身のフリージャズを得意とするAlvin Batiste、テナーサックスやバスクラリネットでフリージャズを演奏するDavid Murrayをフィーチャーしてクラリネットアンサンブルを繰り広げている。1本でできないことができるので、クラリネットアンサンブルは楽しい。クラリネット同士の音を重ねることは結構それ自体が楽しかったりする。2本や3本で違う音を伸ばして和音をつくるだけで、歯にあたる楽器からひとりでは得られない倍音が頭に響いてくるような気がして、やっぱりクラリネットが最高!という気分になる。でもこのアルバムはそのクラリネットアンサンブルのセオリーに乗らず、独自の世界を生み出している。
フリージャズがわかるか?と聞かれると、とてもじゃないけれどはいとは言えない。フリージャズと括られる音楽は、聞いていてもなんかあまりどうしていいかわからないなぁ…と感じてしまうことの方が正直多い。ただ私の場合は、楽典的な秩序が無いように感じられる音楽に夢中になれる時の鍵は「演奏者への共感」にあるような気がしている。その点において、フリージャズ的ではあるけれどクラリネットの音しか聞こえてこないこのアルバムは、私にとってとても入り込みやすい。
Fluffy's Bluesは、ちょっと気怠いブルースのメロディと時間感覚を失うようなそれぞれのソロが印象的なテイクである。最初のユニゾンからして、それぞれがまるで違う速さの音楽をやっているような違和感、それでいてタイム感はばっちりと共有しているという何とも不思議な時間に連れ去られるような感覚になる。
少しでも気を抜くと音色や音域からちょっとおちゃらけっぽくなってしまうクラリネットのフリーソロであるが、話したい言葉が尽きないといった雰囲気がそうさせない。この人はいったい何を言っているのか、私だったらこれを聴いたらこう言うはず、それは思いつかん。。。などをぼんやり思い浮かべているうちに全員の音に押し流されて曲が終わってしまう。
冒頭のDon't Get Around Much AnymoreやPerdidoはデューク・エリントンの元の曲のメロディーが大切にされたアレンジだが、このアルバムの中にあって違和感がない。Don't Get Around Much Anymoreの面で音を重ねる感じは、一見従来のクラリネットアンサンブルらしい作りになっているが、それとは違う文法で作っているような感じがする。どことなく物憂げな音の重なりを存分に味わいながら吹く、というか音を出してみてからいろいろ考えてそれをすぐに伸びている音に反映させるることで、粘りっ気のあるテーマが浮き上がってきている。Perdidoでは自由に走り回るフレーズ中で、点で音を当てて音のぶつかりを楽しんでいる感じが楽しい。ここに1音だけ重ねてよかったら、なにを載せるか?自分がこの中の1音だったら、次は何を吹くだろうか?とふんわり想像しながら聴いてしまう、動きのある曲だ。
管楽器だけの編成で即興で予定調和的に聞こえない音を作るのは結構難しいことである気がする。管楽器は、良くも悪くも、ハーモニーをひとりでは作れない。「調和の外」の音を鳴らすには、他の人と同時に、予定調和的に聞こえない音程の音を鳴らさないといけない。そして、管楽器は、良くも悪くも、息継ぎが必要である。「ひとつながりの言葉」以上のものを言おうと思うと息を吸わないといけないが、それが他人と重なりすぎるとなんだか予定調和的に聞こえてしまう。同じ時の流れを共有しながら同じリズムの形で進んでいるわけではない、同じタイミングで音を鳴らしながら必ずしも響きあわないような音を出す、それらが絶妙にぶつかり合って、何かがうまれそうな音がうごめいているような感じになる。
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