映画の作り手であると同時に映画の部外者となる

ことのは 20

「映画の作り手であると同時に映画の部外者となる」。

(髙橋源一郎、最終講義、2018年12月18日、明治学院大学にて)

毎年秋に明治学院大学の公開セミナーが開催されていました。(最近はどうなんでしょうか?)過去に何度か参加したことがあります。2018年も11月から12月にかけて「さらば大学」というテーマで、計5回にわたって開催されました。その最終回が12月18日に行われ、髙橋源一郎さんの最終講義でした。小説家が本業の髙橋源一郎さんは、明治学院大学の教授でもありましたが、2019年の3月をもって退官されました。

最終講義の冒頭、高橋さんは、フランスの映画監督であるジャン=リュック ゴダールの『ゴダール 映画史』を心惹かれる講義録であると紹介されました。ゴダールは、映画の作り手であると同時に、映画の部外者となって映画を語っているというのです。そして、この手法は「学ぶためのさえたやり方だ」と髙橋さんは言います。

この講義をききながら、私は次のように解釈してみました。「何かの当事者であることと、そこから距離を置いて部外者となってみること、その二つの間の往復こそが、学びの出発点になるのではないか」と。当事者と部外者との往還は、「自己認識」と「他者認識」との往還でもあります。自分では気づけなかったことを他者の視点に立って気づかせてもらうことが、学びの第一歩なのかもしれません。

では、また。Bonne journée!

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