近松門左衛門(1) 「曽根崎心中」を分解してみよう!1/8

 <概要>

 近松門左衛門『曽根崎心中』の、名詞や動詞、枕詞、掛詞を分解して解説していく。これが応用できれば良いに違いない。

<本文>

<原文>

立迷ふ、浮名をよそに漏らさじと、包む心の内本町、焦がるる胸の平野屋春を重ねし雛男一つなる口桃の酒柳の髪とくとくと呼ばれて粋の名取川、今は手代と埋れ木の、生醤油の袖したたるき、戀の奴に荷はせて、得意を廻り生玉の、社にこそは付きにけれ。

<名詞分解>

内本町——現在大阪市東区にある町名。心の内にかける。
平野屋——内本町の醤油屋。焦がるるの縁で、胸の火にかける。
春を重ねし——何年も奉公を続けた。
雛男——雛人形のような美男子。雛は春の縁語。
一つなる口——酒も少しは飲める口。
桃の酒——雛の節句に桃の花を銚子につけ、又は浸した酒。雛の縁語。同時に一つに対する百(もも)にかける。
柳の髪——柳の枝のように、揃って癖のない美髪。古典後で、例えば謡曲「蝉丸」にも「柳の髪をも風は梳るに、風にも解かれず、手にも分けられず。」などある。柳は雛の節句に桃と交えて雛に供えたり、雛の酒に添えたり、又は髪に挿したりする。即ちこれも雛や桃の酒の縁語である。
とくとく——徳兵衛の頭文字を採った通り名。又解くは髪の縁語
名取川——名を取る。評判を取る意に宮城県の川の名をかける。
埋れ木——樹々が水や土の中に埋もれて、化石のようになったもの。名取川の名産で、古歌にもよまれる。うもれは世に埋もれる、身を落としている意。木の韻を取って、生醤油を呼び出す。
したたるき——甘たるい。生醤油が袖に滴る意をかける。
恋の奴——恋に囚われた男。徳兵衛を指す。奴は同時に平野屋の下男長蔵をも指す。
生玉の社——現在大阪市天王寺区にある生玉神社。行くに掛ける。

<原文>

出茶屋の床より女の聲、「ありや徳さまではないかの。コレ徳様、徳様。」と手を叩けば徳兵衛、合点してうちうなずき、「コレ長蔵、俺はあとから往の程に、そちは寺町の九本寺様・長久寺様、上町から屋敷方廻つて、さうして内に往にや。徳兵衛も早戻ると言や。それ忘れずとも安土町の紺屋へ寄つて銭取りやや。道頓堀へ寄りやんなや。」と、影見ゆるまで見送り見送り、簾をあげて、「コレお初ぢやないか。これはどうぢや。」と編笠を、脱がんとすれば、「アアまづやはり着て居さんせ。今日は田舎の客で三十三番の観音様を廻りまし、ここで晩まで日暮らしに、酒にするぢやとを言ひて、物真似聞きにそれそこへ戻って見ればむつかしい。駕籠も皆知らんした衆、やっぱり笠を着て居さんせ。それはさうぢやがこの頃は、梨もつぶても打たんせぬ。気づかひなれど内方の、首尾を知らねば便宜もならず、丹羽屋まではお百度程尋ぬれど、あそこへもおとづれもないとある。ハア誰やらが、オオそれよ。座頭の大市が友達衆に聞けば、在所へ行かんとしたと、言へどもつんとまことにならず。ほんに又あんまりな。わしはどうならうとも、聞きたうもないかいの。こな様それでもすもぞいの。わしは病になるわいの。嘘ならこれこのつかへを見なさんせ。」と、手を取つて懐の、うち恨みたるくどき泣き、ほんのめをとに変らじな。

<名詞分解>
出茶屋——出店の茶屋。簡単な座り場所もあって、そこにお初が足を休めている。
往(い)の程に——行こうから。『往のう程に』の略。
屋敷方——武家屋敷。寺町から北へ屋敷町が続く。内本町への帰り道に当たる。
忘れずとも——忘れずと。忘れないでの意。
道頓堀——生玉に近い遊楽街。
これはどうぢや——これはどうしたのだ。どうして此処に来て居たのだ。
三十三番目の観音様——大阪に三十三所の観音堂の札所を設け、これを巡礼すれば西国三十三所を廻ったのと同じ功徳が積まれると言われて居た。
贅——贅沢。
物真似——次に”聞きに”とあるから声色であろう。役者物真似という語もあり、当時流行して居た。一説に物真似芝居の略で、声色とは関係なく、老若男女さまざまの者を真似る普通の芝居ともいう。
それそこへ——すぐそこへ出かけました。
戻って見ればむつかしい——田舎客が此処に戻って来て私達二人の一緒にいるところを見れば面倒です。
梨をつぶても——何の御沙汰もありません。梨は無しの意味で、小石を投げ打ち、相当することがないというのが原義。
内方の首尾——徳兵衛の家の中の様子。
便宜——たより。
丹波屋——二人がいつも逢う茶屋の名。
お百度——百度参り。境内の一定の距離を百度往復して、神社に祈願を込める事。
つんと——とんと。全然。
うそなら——嘘だと思うなら。
つかへ——しこり。胸の塞がり。
うち恨みたる——懐の中に入れる意をかける。

<本文>

男も泣いて、「オオ道理道理。さりながら、言うて苦にさせ何せうぞいの。この中俺が憂き苦労、盆と正月その上に、十夜御祓煤掃を、一度にするともかうはあるまい。心の内はむしやくしやと、やみらみつちやの皮袋、銀事やら何ぢややら、譯は京へも上つて来る。ようもようも徳兵衛が、命は続きの狂言に、したらばあはれにあらうぞ。」と、溜息ほつとつぐばかり。「ハテ軽口かいの。それ程にない事をさへ、わしにはなぜに言はんせぬ。隠さんしたは譯があろ。なぜ打明けてはくだんせぬ。」と、膝にもたれてさめざめと、涙は延べをひたしけり。

<名詞分解>
十夜——陰暦十月六日から十五日までの十夜、浄土宗の寺で念仏を唱える行事。
御祓——陰暦六月二十五日、大阪天満天神の御祓祭。舟祭ともいう。大阪の最も大きな祭りの一つ。
煤掃——当時は十二月十三日に行うのが普通だった。
やみらみっちゃの皮袋——むちゃくちゃ。やみは闇雲などの闇であろう。皮はままの皮・てんぼの皮・へちまの皮などの皮で、無価値にして投げやりにすべき意を添える。皮から皮袋を続ける。銀を入れる袋で、次の銀事を呼び出す。
続きの狂言——離狂言に対し、二番以上続く歌舞伎狂言をいう。当時京阪では三番続が普通だった。此処は普通の歌舞伎狂言を指す。
軽口——洒落。命は続きの狂言にの部分を指す。
段——場合。
それ程にない事——かくして置かなければならない程大切でもない事。本作を修繕した「お初天神記」では、これに続く「わしにはなぜに言はせんぬ」を「わしには包まずに言はすんに」と改めている。それならば、話さねばならぬ程大切でもない事の意に解せられる。
延べ——延べ紙。遊客や遊女が常用する懐紙。

<本文>
「ハアテ泣きやんな、恨みやるな。隠すではなけれども、言うても埒の明かぬ事。さりながら、大方まず済みよったが、一部始終を聞いてたも。俺が旦那は主ながら、現在の叔父甥なれば、ねんごろにも預る。又身共も方向に是程も油断せず、商ひ物も文字ひらなか、ちがへた事のあらばこそ。この頃袷をせうと思ひ、堺筋加賀一匹、旦那の名題買ひがかる。是が一期にたつた一度。この銀もすはと言へば、着替へ売りても損かけぬ。この正直を見て取って、内儀の姪に二貫目付けて女夫にし、商ひさせうといふ談合、去年からの事なれど、そなたと言ふ人持ちて、なんの心が移らうぞ。取合へもせぬその内に、在所の母は継母なるが、我に隠して親方と、談合きはめ二貫目の、銀を握つて帰られしを、このうつそりが夢にも知らず。あとの月からもやくり出し、押して祝言させうとある。そこで俺もむつとして、『やあら聞えぬ旦那殿。私合点致さぬを、老母をたらし叩きつけ、あんまりなされよう。お内儀様も聞こえませぬ。今まで様に様をつけ、あがまへた娘御に、銀をつけて申受け、一生女房の機嫌取り、この徳兵衛が立つものか。いやと言ふからは、死んだ親父が生き返り、申すとあつてもいやでござる』と、言葉を過す返答に、親方も立腹せられ、『俺がそれも知つている。蜆川の天満屋の、初めとやら腐り合ひ、嬶が姪を嫌ふよな。よい、この上はもう娘はやらぬ。やらぬからには銀を立て四月七日までにきつと立て、商ひの勘定をせよ。まくり出して大坂の、地は踏ませぬ。』と怒らるる。某も男の我、『オオソレ、畏つた。』と在所へ走る。又この母といふ人が、この世があの世へかへつても、握つた銀を離さばこそ。京の五條の醤油問屋、つねづね銀の取りやりすれば、是を頼みに上つて見ても、折しも悪う銀もなし。引返して在所へ行き、一在所の詫言にて、母より銀を受取つたり。おつつけ返し勘定しまひ、さらりと埒が明くは明く。されども大坂には置かれまい、時にはどうして逢はれうぞ。たとへば骨を砕かれて、身はしやれ貝の蜆川、底の水屑とならばなれ、我が身に離れどうせう。』とむせび入ってぞ泣き居たる。

<名詞分解>
済みよった——解決した。
ねんごろにも預る——好意も受けている。親切にしてもらっている。
文字ひらなか——一文半文。文字は文字を書いた銭の表、転じて一文銭。ひらは片、なかは中で、半銭の意。
堺筋——長堀橋・日本橋を通り、南北に通ずる道。堺に達する。
加賀一匹——羽二重に似た加賀絹二反。
名題——名義。
買ひがかる——代金後払いで買う。
一期——一生。
二貫目——元禄末は米一石の相場が銀百枚前後だった。従って銀二貫目は米二十石の価値を有する。今日の二十万円以上である。
談合——相談。
取合へもせぬ——問題にもしない。相手にもならない。取り合いもせぬの訛り。
このうつそり——このうっかり者。徳兵衛自身を指す。
もやくり出し——ごたつき初め。もやもやし出すの意。
聞えぬ——訳がわからない。納得できない。
たらし叩きつけ——騙して押し付け。
あがまへた——あがめた。敬った。
それ——お前がそんな事を言う訳。
蜆川の天満屋——堂島新地の遊女屋の名。蜆川は堂島と曽根崎の間を流れて居た川だが、埋め立てられて今は存在しない。なお堂島新地と蜆川を隔てて対する曽根崎新地の遊郭は、これより数年を経た寛永五年に開かれた。
腐り合ひ——男女の相通ずるのを蔑んで言う。
立て——すませ。返せ。
四月七日——佛生曾の前日に当たる勘定日で、もう明日に迫っている。
まくり出して——追い出して。
男の我——男の意地で。
この世があの世へかへっても——この世にいる者があの世へ帰る。死んでも。「丹波興作待夜の小室節」中之巻に「あの世から来てあの世へ帰る。」とあるのと同じ思想であろう。
離さばこそ——離しはしない。
しやれ貝——水にさらされ、肉の落ちた貝。次の蜆を呼び出す。この前後を通訳すると、例え骨は砕かれ、肉は水に朽ち果て、蜆川の底の水屑にともなるならばなれ。そうして死ぬのとは言わぬが、お前に離れてはどうしよう。

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