西側諸国が東側諸国に比べて好ましい理由
まず断っておくべきだと思うが、世界の国々を整然と東西に分けることは出来ない。
西側諸国が東側諸国よりも好ましい国家体制である理由は、選挙による政権交代の余地が西側には残されているから、ではない。東西どちらの陣営も、特定の種類の人々によってのみ実質的な政治参画の余地が開かれているという点では同じであり、法的・形式的には有権者や主権者ということになっている人々の多くは実際には“臣民”である点は同じであり、そうした“臣民”に絶えずお世辞を垂れて止まないのもまた同じである。
それでも現実の政治においては総じて中国よりもアメリカの方が“マシ”に思われるのは、アメリカ合衆国の憲法が、ひいては西側諸国の憲法が、政府に人権保障を求め、現実に司法に違憲立法審査と人権保障を担っている、という点に求められる。また、この司法は、その性質が民主的でなければないほど、つまり、多数派に媚びる必要がなければないほど、その任務をよりよくこなすことができると言える(この点はあまり情報を参照していない)。そういう意味では、アメリカ合衆国の司法は西側諸国の中では最も劣悪な司法である。
以上のように、公職選挙が主体の政府の内部に非民主的な司法を有する政府は、公職選挙があったとしても非常に限定的な政府に比べれば好ましいと考えられる。では、限定的な公職選挙の国の内部に民主的な司法があった場合、それは西側諸国の政府よりも好ましいものとなるだろうか?これは今のところ完全に形而上の問いであり、今後、このような政府を組織できるようなタイミングが人類史に訪れるとは考え難い。仮にそのような機会があったとしても、そもそも政府組織の性質を問題にするより、政府の大きさ自体をかなり限定した方が、結局はより好ましい政府組織となるだろうし、そもそも政府組織よりも、中央銀行や生産手段の在り方の方がより人類の生活や人権保障にとってより大きな意義を持つだろう。