見出し画像

◉昭和100年記念【名古屋・戦後意外史 その14】<初の国産テレビアニメ「鉄腕アトム」誕生~昭和38年1月1日>

●アニメ時代の到来

 映画興行成績の上位を占め、「クールジャパン」の象徴となったアニメ。初の国産テレビアニメ「鉄腕アトム」が放映されたのは昭和38年1月1日。今から60年以上前のことである。名古屋地方では同日午後6時15分から東海テレビで放送された。
 手塚治虫原作の漫画「鉄腕アトム」は昭和27年4月、雑誌「少年」で連載がスタート。翌年2月にはNHKがテレビの本放送をスタートした。「鉄腕アトム」のテレビアニメが登場したのはそれから10年後のことで、この年、国内のテレビ受像機約1435万台突破している。同年には、人気漫画の「鉄人28号」(横山光輝)と「8マン」(桑田次郎)も次々にテレビアニメ化され、アニメ時代が到来した。
 漫画とアニメはもちろん子ども向け。このため、子どもをターゲットにした関連商品も続々と売り出された。「“テレビの英雄”のし歩く」と題して、翌39年2月8日付けの名古屋タイムズがレポートしている(以下、<>内は名タイ記事)。

<テレビの影響は実におそろしい。こどもたちのアイドルを見ごとに造りだしてゆく。いまでいえば、鉄腕アトムと鉄人28号、そして、新しいところでエイト・マン。とにかく、このいずれかが、くっついていれば、なんでもかんでも、右から左へと飛ぶように売れていくのだから大変である><いまオリエンタル中村(編注・現名古屋三越)で「鉄腕アトム・フェア」を開いているが、オモチャはいうにおよばず、学用品からハンカチ、さては育児用品まで、アトム君でそろっているのだから、驚くほかはない。しかも、ものによっては、ただアトムのレッテルを貼り付けただけのしろものもある>

 記事によれば、ハンカチ(15円)、プラスチック製のアトム帽子(130円)、ビニール人形(380円)が売れ筋だった。
 昭和40年代にはテレビアニメはさらに増殖する。名タイによると昭和41年2月現在、子どもたちが登校する前の午前7時台と下校後の午後5時~7時台のテレビ番組は連日アニメのオンパレードだ。登校前にぎりぎりまでアニメを見ながら朝ごはんを大急ぎでかき込み、学校から帰って午後5時になると、テレビの前にぴったりと張り付き、次から次へとアニメを見る。そんな経験をした「昭和の子どもたち」も多いのでは?
「少年サンデー」「少年マガジン」などの漫画雑誌も人気。親たちはマンガに夢中になった子どもたちの学力低下を心配し、「マンガは是か非か」が盛んに議論された。

●オバQ旋風と大人の事情

 テレビアニメ「鉄腕アトム」は昭和41年大晦日で終了。地球の消滅を救うため、自ら太陽にぶつかって壮絶な「死」を遂げるというラストだった。名タイによると東海テレビには放送後、子どもたちから1000通以上の手紙が届いたという。
 一方、この時代に社会的ブームにまでなったのが「オバケのQ太郎」(藤子不二雄)だ。昭和39年に「少年サンデー」で連載がスタートした「オバQ」は、昭和40年夏にTBS系でテレビアニメ化。視聴率30%以上で、グッズやイベントなど、街のあちらこちらに「オバQ」があふれた。アニメが巨大市場になることを知った「大人たち」は、このころになるとビジネスモデルを構築する。

<かくて局は視聴率を、スポンサー、メーカーは商品の売れ行きを、プロダクション(編注・マンガ制作会社)は商品化権利金の伸びを追求し、子ども向けアニメーション、特撮ものなど新企画の開発合戦が始まる。「ハリスの旋風」のように自社の名前をつけた作品をつくらせる会社もでてきた。また某テレビ局のように漫画家、プロダクションと共同で企画、商品化権をがっちりにぎって商売に乗り出すところもある>

そして、当時のテレビ局側の思惑についてはこう書いている。

<元来、アニメーションや特撮ものは制作費が高いからテレビ放映だけではもとがとれない。海外進出もそう多く望めないから、商品化権でかせぐ必要があるわけだ>

 ヒットしてグッズが売れれば、商品化権を持つテレビ局にもお金が転がり込む。CMでもないのに直接利益に結び付くテレビ番組がアニメというわけだ。


次回の名古屋・戦後意外史は
<官庁のケチケチ大作戦と女子大小路のど根性~昭和48年、オイルショック>
お楽しみに

◉昭和100年記念【名古屋・戦後意外史 まとめ読み】🔽

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集