◉昭和100年記念【名古屋・戦後意外史 その2】名古屋タイムズに刻まれた鳥山明の素顔
「Dr,スランプ」や「ドラゴンボール」で知られる漫画家の鳥山明氏が令和6年3月1日に亡くなった。68歳だった。愛知県清須市出身で、後半生はマスコミや公の場に姿を見せず、その人となりはベールに包まれていた。だが、デビューから数年間は、はにかみながらもメディアに登場した。名古屋タイムズ(名タイ)の取材で見せた世界的漫画家の素顔とは―。
●長者番付登場は「カッコ悪い」
鳥山氏の名タイ初登場は昭和56年8月5日。少女型ロボットのアラレちゃんが騒動を巻き起こす少年ジャンプ連載「Dr,スランプ」の爆発的人気で、昭和55年度確定申告東海4県著名人番付に3位に登場した際の記事。当時26歳。愛知県立起工業高校デザイン科を卒業し、3年間広告代理店に勤めていたころを振り返り、「半分以上、遅刻していました。勤め人に向いてないんです」。
その後、浪人時代を経て1年後に漫画家となり、「Dr,スランプ」でブレイクしたが、「女の子(アラレちゃん)を描くのは苦手で、いやだったんです。なるべく男らしいものを描くつもりでした」と話した。ちなみに登場人物の則巻博士とアラレちゃんの顔は広告代理店時代の友人夫婦に似ているとか。
長者番付登場には「イヤでしたね。カッコ悪い」とはにかみながら話し、アラレちゃん人気には「正直言ってわからんけど、自分では夢のあるところかなあと…。劇画は描けないもんで、わりとその場でパッと描いちゃうんですよ」と名古屋弁をまじえて分析した。
●結婚式では記者会見
翌年5月2日には名古屋市内で結婚式を挙げて、披露宴後には記者会見に臨んだ。現在の心境を聞かれると「ホッとしている。ふだんはジーパンばかりで、かかとのある靴を履いたのは久しぶり。(新婦と)お互いに相手の姿を見て笑ってしまった」と話した。
衰えないアラレちゃん人気については「あまり目立ちたくない方なので困っている。最初からこんなに人気になるとわかったら描かなかった。といっても、あまり売れなくて暮らしていけないので適当に…」と述べた。
結婚式前日には昭和56年度の確定申告番付が発表され、名古屋市を除く愛知県でトップに。式の日取りを決めたのは1月で、「番付発表の翌日が結婚式とは全く知らなかった。きのう、しまったと思って頭を抱えました」とここでも好青年ぶり。
●地元に記念館を
昭和57年6月17日付けの名タイは鳥山氏の若き日のアルバイトを「スクープ」している。昭和54年のこと。鳥山氏の親族が勤める名古屋の旅行代理店の企画室長が、鳥山氏が漫画を描いていることを知りパンフレットのイラストを依頼した。
「のぞみちゃん」と犬の「サン吉」をキャラクターにして同年6月から毎月発行された。イラスト料は1枚1000円~3000円。翌年から「Dr,スランプ」の連載が始まったため、アルバイトは終了した。
その後、メディアには全く登場しなくなった鳥山氏だが、地元への愛は続いた。名古屋では昭和59年、東山にやってきたコアラのシンボルマークを作成。今もコアラ舎に残る。また、出身地・清須市の市制20周年ロゴを作成したことが死後に発表された。
世界に吹き荒れる「クールジャパン」の象徴となった鳥山氏。令和6年3月22日には、その代表作「ドラゴンボール」の初のテーマパークがサウジアラビアに作られることが発表された。
そうなると愛知が誇る漫画家のテーマパークや記念館が地元にないのは、なんとも残念。依然としてコンセプトが決まらない旧名古屋ボストン美術館(名古屋市中区金山)を鳥山氏の作品を中心にした漫画美術館にすれば、ジブリパークと連動して、国内外のファンが押し寄せると思うのだが、そうした発想は「文化不毛の地」にはないようだ。
終
次回の名古屋・戦後意外史は
<「知と熱」が生んだ20年ぶり優勝~昭和49年のドラゴンズ(前編)>
お楽しみに
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