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◉昭和100年記念【名古屋・戦後意外史 その15】<官庁のケチケチ大作戦と女子大小路のど根性~昭和48年、オイルショック>
今から半世紀前―。昭和48年10月、第4次中東戦争が勃発。石油価格が上昇し、日本は石油不足、電力不足、紙不足の欠乏時代に突入した。いわゆる「オイルショック」である。関西ではトイレットペーパーを求めて主婦が殺到、けが人が出る騒ぎが起きた。名古屋のチマタでもケチケチ大作戦が展開された。名古屋タイムズの紙面から振り返ってみよう。
●官公庁
同年10月26日、自治省(当時)から愛知県に紙の節約について通達があった。①資料作成部数は最小限②印刷物は両面に印刷③保存期間終了後の用紙の裏面をメモ用紙に活用④古紙を回収し、各所に「古紙回収箱」を設置―といった内容だった。県はさっそく総務部長名で県内の関係機関に指令した。
ある自治体は「税金を使っている立場上、平素の心がけとしてメモ用紙などは使用済み用紙の裏を使っているが、あまり節約を徹底させて住民に魅惑をかけることになってもいけないし…」と頭を抱えた。
●百貨店
名古屋市内の百貨店も紙不足対策に懸命となった。当時、売れた商品は包装紙で包むのが通例だったので、「節約といっても客商売だけに難しい」と口をそろえた。
松坂屋では、おもちゃの包装紙はやめてシールを貼るだけにした。一方、社内事務の節約は休憩室などにポスターを張って社員に呼び掛けた。「エンピツ一本にしても2000人が一度に使えば莫大な金額になる。節約は日頃の心構え」と同店。
オリエンタル中村(現・名古屋三越)も包装の必要がない商品はシールを貼るだけに。社内事務用のノートやエンピツなどは使い終わってから用度課を通じて買うようになった。名鉄百貨店も「包装紙を節約しましょう」と社員食堂や通路に張り紙。破れかけた包装紙もはさみを入れてきれいにして利用した。
●ネオン
節電で名古屋駅前や栄のネオンが次第に消えていった。といっても即座に対応したのは日立、三菱電機、東芝といった大手企業。ある宝石会社は「営業時間の午後8時までは消せませんよ。客とじかに接するのだから、節電と言われたって時間内に照明は消せません。消灯すれば売り上げにも響くでしょうし、お客さんを犠牲にはできません」ときっぱりと話した。
●歓楽街
こうした中、「どこ吹く風」と不夜城のごとくネオンを輝かせていたのが、名古屋有数の繁華街・女子大小路(現・栄ウォーク街)だった。
「店の看板の電気を消す?うちは外に二つの看板があるが消すなんてとんでもない。常連でも店の前まで来て、消灯してあれば帰ってしまうがね。節電は大口消費の大会社がすればいいのよ」とスナックのママ。
飲食店が複数入った雑居ビルには共同トイレがあったが、トイレットペーパーは置くたびに消えていった。「1日に4本もなくなるんですよ。飲食店街だから利用するのは男性が多いと思うのですが、ヘンですね」とビルの管理人。どうやら、くすねていくヤカラがいたようだ。別の共同トイレでは破った新聞紙を重ねて置いてあった。こちらの管理人は「うちはこの間まで、トイレットペーパーの予備を置いておいたのですが、やめにしました。ホステスの皆さんには自分の紙を使うようにお願いしてあります」。
節約はお店側だけではない。女子大小路のホステスといえば、交通手段はタクシーが常識であったが、時節柄、自転車通勤のホステスも現れた。
「銀輪通勤」のホステスA子さん(28)は「店から交通費が出るんだけど、タクシーの深夜料金が高いし、タクシーを待っている時間があれば自転車で帰れちゃう」浮いた交通費はもちろん貯金よ」とにっこり。
終
次回の名古屋・戦後意外史は
<天敵・タモリが名古屋で毒を吐く~昭和56年6月11日>
お楽しみに
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