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◉昭和100年記念【名古屋・戦後意外史 その19】<ジャズの王様・サッチモがやってきた!~昭和28年12月16日>

●朝ドラで注目

 1920年代から60年代にかけて活躍し、サービス精神旺盛エンターテイナーとして「サッチモ」の愛称で親しまれたジャズトランペット奏者ルイ・アームストロング(1901~1971)。彼が得意としたジャズのスタンダードナンバー「オン・ザ・サニーサイド・オブ・ザ・ストリート」は、NHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」で重要なモチーフとなった。
 昭和28年12月に初来日したサッチモは16日、名古屋市公会堂でも公演した。主催は松竹で名古屋タイムズ社が後援した。来日したのはサッチモのほかトラミィ・ヤング(トロンボーン)、バニー・ビガード(クラリネット)、ケニー・ジョーンズ(ドラム)、ミルトン・ヒルトン(ダブル・ベース)、ビル・カイン(ピアノ)、ヴェルマ・ミドルトン(歌)。名タイは12月1日の広告でにぎにぎしく前景気をあおっている。

<世界一のジャズ王遂に來る 紐育タウンホールの感激をその儘に、あの曲あの歌30数曲が燦然と降る一生一度!二度と見られぬ夢の実現。アメリカの國宝級ベテランを網羅した絢爛熱狂の大舞台>

●古典ジャズにこだわったサッチモ

 同月6日の紙面ではサッチモを次のように紹介している。

<本年53歳。トランペットを吹きはじめてから今年で38年になる彼はニューオリンズの下町に生まれた。家の周囲はニューオリンズスタイル(編注・デキシーランド・スタイル)とよばれる当時最盛のジャズの本場だった。黒人バンドが百以上ありキング・オリバーなどの有名な奏者がいた。彼は最初、3人の少年とカルテットを作ることからはじめ、14歳のときにはすでに牛乳屋や石炭配達をしながらバンドで働いた。そしてオリバーの教えを受けた>

<1920年シカゴへ移ってから名声をあげた彼は自分のバンドを作りコルネットからトランペットにのりかえた。歌手としても天分をもっており彼のレコードはそれから26年間に1000曲以上にもなる。彼のトランペット演奏は清潔で誠実であり歌はきわめて独創的で渋い哀調につらぬかれている>

<バップ(編注・ビバップ)を好まずいつもニューオリンズスタイルの曲を演奏。「若い連中が何を試みようといつの時代にもジャズは滅びない」というのが彼の信条である>

 アドリブを重んじるバップというジャズの新しい潮流にあらがって、オーソドックスなニューオリンズスタイルにこだわったサッチモは来日時の取材にもこう答えている。

 <「日本のジャズが盛んなことは知っている。私のレコードの印税は日本が世界一多いということもそれを証明している。私たちのスタイルはデキシーランドでジャズの古典のようなものだが、最近アメリカではすごい復活をみせている。バップに夢中になっている日本のジャズファンにデキシーランドの真髄を再認識してほしい。今度の訪日で一番気にしているのはやはりファンの反響。それとともに日本の若いプレーヤーの中から新人を発見したい>

 名古屋市公会堂の公演は午後1時~、3時~、5時~の3回公演。すべて指定席で1席800円、B席600円、C席400円。名タイは「アームストロングはよきテクニックを持っていた。ジャズの本質につながる野生的で素朴な抒情をみせた」と評価した。

●楽しくなければ、ジャズじゃない

 サッチモは10年後の昭和39年12月20日にも来名し、愛知文化講堂で公演した。この時のメンバーはラッセル・ムーア(トロンボーン)、エドワード・シュールマン(クラリネット)、ビリー・カイル(ピアノ)、アーベル・ショウ(ベース)、ダニー・バーセロナ(ドラム)、ジュエル・ブラウン(歌)。
 名タイ記者はこう書いた。

<相変わらずエネルギッシュである。トランペットは良く鳴るし、最初に耳にしたときにぜんそく持ちと勘違いした声もよく鳴る。「ブルーベリー・ヒル」「マック・ザ・ナイフ」「聖者の行進」。聞きなれたいくつかの歌が響き、着古した洋服の下から飛び出してくる。いつもながら、楽しく、おもしろい>

 日本では眉間にしわ寄せてジャズを聴く向きも見受けられるが、やっぱり楽しくなければ、ジャズじゃない。


次回の名古屋・戦後意外史は
<名古屋が生んだ新作落語の巨星・三遊亭円丈の青春>
お楽しみに

◉昭和100年記念【名古屋・戦後意外史 まとめ読み】🔽

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