社会は和時計に従うべきだ
今日の日本社会は定時法に則った運用がなされている。しかし、日本では明治6年以前では不定時法が用いられていた。不定時法では日照時間に基づいて時刻が設定されるため、定時法の時刻と不定時法の時刻では時の刻み方が大きく異なる。サマータイム制と勘違いされがちだが、和時計は15日ごとに1刻の長さを調整していたようだ。
定時法における8時~17時の勤務形態ではどの季節においても8時間勤務になる。しかし、和時計を定時法に強引に合わせるとしたら、夏は勤務時間が平均9時間ほどになり、冬は勤務時間が平均7時間ほどになるだろう。
私の主張は大概戯言であるが、この主張は中でもとびきりの戯言だと言える。当然無謀だろう。勤務時間が日によって変わるのだから。そんなややこしいシステムを活用していては、社会が成り立たなくなるかもしれない。しかし、私は思う。我々が日頃認識している時間とは、本当に正確なものなのだろうか。加えるならば、何をもって正確と言うのか。
私が1日のうち、時計を確認する回数は何回あるだろうか。わからないが、平日に関しては100に迫るのではないだろうか。肝心なのはそこではない。時間を確認した際に私が時間の経過速度についてギャップを感じることにある。もうこんな時間かと思うこともあれば、まだこんな時間かと思うこともある。つまり、私は時計を見て初めて社会のリズムと自分のリズムを同期できるのであり、私の中に社会のリズムは存在していないということだ。
そして、それは全人類に共通して言えることだ。
長々と話したが、我々人間には体内時計がある。そして、我々の生活リズムは体内時計によって支配されている。そして、体内時計は太陽に支配されている。つまり、我々が本当に従うべきは太陽であり、定時法ではないだろう。
定時法から不定時法に変更するにあたり、問題点が多いのも理解できる。なぜなら日本は世界経済を構成するうちの一個であるからだ。しかし、解決策がないわけではない。外資系など海外ありきの企業、省庁は定時法を元に活動するべきだろう。しかし、日本国内における殆どの企業の殆どの業務においては、不定時法でも構わないのではないのだろうか。
例えば勤務時刻の話をしよう。一般社会人というのは、勤務時間に応じて給料をもらっている。つまり、会社で仕事をしようが寝ようが、定時法においてどれだけの時刻が経過したかで給料が決まるのだ。それを不定時法に合わせるとなると、冬に働いた方が得ということになる。それを解決するにはどうすれば良いか?簡単だ。不定時法で働いた時間を定時法に換算し、それを元に給料を計算すればいいのだ。
ここで深夜手当についての話をしなければならないだろう。
製造業など深夜にコアタイムを設けている職場では深夜手当という手当が存在し、企業には当該労働者に支払う義務があることが法律によって定められている。
では、深夜手当がなぜ発生するのか。それは、人間が深夜に働くように作られていないからだろう。私の検索スキルでは根拠の明確なソースは発見できなかったため憶測になるが。つまり、労働者の体調を考えた場合、定時法において同じ時間同じ働きをしたとしても、働く時間帯で支給金額が変わるということだ。
では、「深夜に働くと体調に悪い」という認識があり、法律まであるのに、なぜ「冬は日の出前に出勤する必要がある」「日没後の数時間白昼色の照明の下で働く必要がある」現状を考慮しないのだろうか。特に、私のように冬になると会社に遅刻することが多くなる脆弱な人間からすると、不思議である。そんな弱者の言うことをいちいち聞いていたら社会が崩壊する。そんな意見もあるだろう。私は概ね同感だし、行きすぎたアイデンティティの主張は戯言に他ならない。しかし、何をもって1秒とするのか、何をもって健康に悪いのかが明確に定義されていない曖昧な社会で生きていると言うことを再認識し、社会の課題として論じていくべきではないだろうか。やはり戯言なのだろうか。
出典欄
・体内時計とは
Newton別冊睡眠の科学知識、他
・和時計とは
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E6%99%82%E8%A8%88
・深夜手当とは