1995年のバックパッカー#34 サイゴンは恋の街2
翌朝8時、トランが突然部屋にやって来た。
ドアを開けると、にっこりと微笑んで、さあ出かけるよ!といった感じだ。昨日出会ったばかりなのに、急に縮まった距離の近さに戸惑いながら、僕は急いで支度をした。
出会ったばかりの男の部屋に、こんな朝早くにやって来るトラン。だが、そのストレートさが嬉しくもあった。明るい嵐に巻き込まれつつあるような楽しさがあったのだ。僕が支度をしているのを眺めてるトランには、「私は、やりたいことからさっさと始めるの!」と全身で言われているような感じだった。
昨日と同じように、僕はトランの運転するバイクのリアシートに乗った。それは素晴らしい映画の続編のような1日だった。
僕たちは、まずサイゴンの朝を疾走した。シクロ、バイク、タクシーなどの車輪モノが、絶妙の距離感でお互いをかわして走っていく。ブレーキを使うと罰金でも徴収されるかのように、危なっかしいスピードを維持したまま、それぞれの目的地への最短距離を外れないように走り抜けていく。
おそらくローカルにしか分からない阿吽の呼吸、間合いを知らなければ、たちまち事故に繋がるのは目に見えていた。
ニューヨークに住んでいるトランがローカルに混じって運転できてるのはなぜだろう。そんな疑問を浮かべつつ、なんどか目を閉じそうになるトランの運転だったが、そうこうしているうちに僕たちは動物園に到着した。
28歳の男が動物園もないだろうと思われるかもしれないが、僕は動物が好きだったので、トランのチョイスを喜んだ。まさかサイゴンで動物園に行けるとは。
すでにこの旅では上海、烏魯木斉など各地で動物園を訪れていた。僕は動物園という場所がそもそも好きで、遊園地とも違うその独特な緩んだ空気が好ましかった。動物園は一人でそこにいても違和感なく溶け込んでいられるが、ディズニーランドだとちょっと妙だろう。
僕のような一人で旅するバックパッカーは、ローカルに混じってその土地の人々の余暇の雰囲気を眺められる場所でもあった。言わば、その街に近づくための一つの入り口だった。
そんなことはさておき、トランと歩く動物園は中学生のデートのようで楽しかった。僕たちはごく自然に手を繋いで歩いていた。
サイゴン動物園で最初に惹かれたのはトラだった。充実した良い個体で、長いこと見つめていられた。ライオンはあいにくメスのみだった。黄色い肌の象は老いた個体ゆえだろうか。僕は動物たちとトランに挟まれながら、幸福な時間を過ごした。
園内にある歴史博物館へも訪れた。デートコースとしてはどうかなといった内容で、こういう場所は一人で来た方がいいにきまっているが、その時はトランと手を繋いで歩けるというだけで嬉しかった。
僕が動物好きだとわかると、トランはさらに郊外の公園へと連れて行ってくれた。そこは入場料なしの公園なのだが、檻に入った動物が結構いた。ジャガー、クマ、ニシキヘビ、猿などだ。
ただの公園にジャガーという南米からのスター動物がいるのが面白かった。その時は、これから僕が地球の上を旅した先の南米大陸アマゾン川のほとりで、野生のジャガーと遭遇することなど、もちろん知らない。
僕は、サイゴンのどことも知れぬ場所で、昨日出会ったばかりのベトナム人ニューヨーカーとデートらしきことをしているという事実が、なんだか御伽話のようで、現実感があまりないまま楽しんでいた。
夢かも知れないと感じられる瞬間を生きている、というのはこんなに幸せなんだなとぼんやり考えていた。
さらに行くと、ネットや網で仕切られた大きな囲いの中で、様々な鳥たちが放たれていた。その中を人間も自由に歩くことができる。見慣れない南国の鳥たちが舞う中を、僕はトランと歩いた。
その公園の中には大きな池があり、上野の不忍池を思わせた。蓮が広がり、水鳥が遊んでいた。手入れがほどほど行き届き、いい公園だった。だけど、その公園の名前を覚えようとはしなかった。僕はこの美しさの中でも、ただの通りすがりで、2度と来ない場所を覚える必要などなかった。
その後、サイゴン川の畔にあるローカル向けのカフェに行き、ランチを食べた。食後は、お互いのことをそれぞれ語り合った。
僕は、旅に出た理由、カメラマンになれたことなどをトランの質問に答える形で話した。
トランはベトナムからアメリカへと養子として渡り、その後のことを結構細かく話してくれたが、僕が理解できたのはそのうち7割がいいとこだっただろう。
トランはアメリカでの生活で、人種差別や、養子としての葛藤など、さまざまな苦労があったことを伝えてくれた。僕はそれらを心打たれながら一通り聞き終えたあとで、こう言った。
「君は何でもできる。君が本当にしたいと思うことなら」
You can do everything what you really want to do.
トランは、何度も頷きながら、メイサの言葉は、わたしを勇気づけてくれる、ありがとう、と返してくれた。You brave me,thank you.
出会って2日目のトランと僕は、思いがけずにお互いの深いところまで触れ合えるような関係を築きつつあった。こういうのを今なら運命の出会いと呼んで差し支えないと思うが、その時の僕はそう客観的になれずに、ただ白昼夢の中にいるような気がしていた。なんだか妙なことが起こっているという違和感すら覚えていたのだ。
僕たちはは再びサイゴンの市街地をスクーターで走ったあと、17時半にトランは用事があるらしく去っていった。約10時間一緒にいたことになる。
馴染みになりつつあったシンカフェに行くと、様々な国々からのバックパッカーたちが肩を寄せ合ったり、小さなテーブル越しに向かい合って過ごしている姿があった。
僕はそんな彼らの姿が、昨日までの、過去の自分の姿のように見えた。トランと過ごした時間によって、僕はもうただの通りすがりのバックパッカーではないような感じがした。ここに座っている誰よりも、サイゴンに入り込んでしまっているという実感があった。彼らが見ることのない風景を僕はスクーターのリアシートから見たのであり、彼らが交わせないような会話をトランとしてきたのだ。
バックパッカーがローカルの人と親しくなるのは普通にあることだ。だが、恋のような経験をしている人はぐっと少なくなるだろう。僕は自分でも恥ずかしいことだと分かりながら、小さな優越感を得ていた。
実際旅先での恋はありふれていて、よくあることなのだと分かった後日から振り返っても、泥道で困っている僕を救うように現れて、そのまま僕を連れて走り出したトランのような人と巡り会うのは稀なことに思えるのだ。
僕はシンカフェでまったりしながら、その日の出来事を深く反芻していた。不思議な1日であり、幸福な1日であった。僕がいつか老いた時にも、忘れずに覚えておきたい1日だった。
僕はトランとなんの約束もせずに別れたことを、少し残念に思った。もしかしたら、2度と会えないのかも知れない。まあ、それもそれだな、とまとめつつも、心の中の空白が彼女の存在がすでに大きくなっていることを語っていた。
その夜は停電があった。近くで火事があったようだ。
翌朝、トランは再び突然やって来た。7時半にだ。2日続けての明るい嵐だった。驚いた、そして嬉しさがちょっと遅れてやってきた。
僕たちはシンカフェで朝食をとった。ベトナムは旧宗主国のフランスの影響で、バケットを食べる習慣が残っている。そこらへんの路上でバケット売りをよく目にするし、シンカフェのサンドイッチはバケットを使っていてうまかった。
僕たちは、いわゆるベトナムコーヒーにハムとチーズのバケットサンドを頬張りながら、ほぼ恋人のように振る舞った。出会って3日目のことである。
その後は、ツーズー病院へ向かった。
日本でもよく知られているベトちゃんとドクちゃんに面会するためだ。とはいってもアポイントがあるわけでもなく、ただ取り敢えず行ってみることにした。
到着して受付で事情を説明したが、面会は無理だった。当然である。ぼくは大した理由もなく面会を試みたことを恥いるのだが、そんな僕の一部始終をトランは不思議そうな面持ちで眺めていた。
僕たちはツーズー病院を後にすると、戦争犯罪博物館へ行った、トランの希望で。僕にとっては2回目だった。
アメリカへ渡る以前は興味もなく、過去の悲しい出来事が展示してあるぐらいに考えていたが、こうしてベトナム系アメリカ人として帰省した今だからこそ知っておきたいのだとトランは説明した。
その展示の中でベトナム人の姓である梅をよく見かけた。そのことを話題に乗せると、私の苗字も梅だとトランは言う。彼女のフルネームはトラン・マイ。梅はマイと読むのだ。
ベトナムでは、もともと漢字が使われていたのだが、外交政治的な紆余曲折を経て、アルファベット表記になった。そうトランに説明されても、それ以上つっこんだ質問は僕の英語の能力の限界を超えていた。
とにかく言語が外国人によっていじられてしまうというのは、すごいことだ。平仮名がアルファベットになるということは、確実に文化の一部が損なわれてしまうだろう。
その後僕たちは中華街であるチョロンでランチをしてから、アイスクリームショップへ移動した。トランと出会った日に、僕が待たされた店だった。
熱帯で食べるアイスクリームは格別である。僕たちはそれを口の中で溶かしながら、甘くもない割と普通な会話を楽しんだ。だが、すでに僕とトラントの間には、アイスクリームよりも甘く、溶けにくい何かが存在していた。
その会話の中で、来年のクリスマスにニューヨークで再会する約束を交わした。僕の思いつきだったが、割と切実な感情が入っていた。ちょうどその頃にはユーラシア大陸を横断し、大西洋を渡れるだろうと見越しての約束だった。
つまりは、この関係をサイゴンで終わりにしたくなかったのだ。
僕たちはアイスクリームを食べた後で一旦別れた。そして、夜の8時に再びトランが部屋に迎えに来た。そしてその時にはじめてキスをした。自然な成り行きで、朝日を大地が迎えるような感じだった。
その夜の僕たちは、トランのおすすめのディスコに行き、それなりに楽しんだ後、11時頃に部屋に戻り、そしてそのまま恋人の関係になった。開いてた花びらが夕方にそうっと閉じて合わさるような、優しい流れの中で起こった出来事だった。出会って3日目の夜のこと。サイゴンの街中の三階建の民泊部屋、最上階でのできごとだった。
その部屋はスコールの音が激しく響く部屋で、僕はその音を聞くのが好きだった。すべてを洗い流していくようなその音は、なぜだか生きている実感を僕に与えてくれるのだった。
そして日付が変わる頃にトランは帰宅した。まるで読み終えた本を閉じるような感じで帰っていったのだ。