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1995年のバックパッカー#33 ベトナム1 サイゴンは恋の街1
誕生日の翌日は、普通に観光した。
まずは戦争犯罪博物館へ行った。
犯罪とは言うまでもなくアメリカによるベトナム戦争における行為のことだ。カンボジア、プノンペンでのキリングフィールドやツールスレーンも同様に、負の遺産は人間どうしで争うことの不毛を後世に伝える意味がある。
展示品が、どんなに悲惨なものかは訪れなくても大方察しがつく。ではなぜわざわざショックを受けに行くのだろう。
優等生的に答えるなら現実を直視するためということになるが、野次馬な好奇心があることを僕自身否めなかった。当然、そういう気持ちで見るものではないと揺れることになるが、それでも迷いを断ち切って訪れるのは、そういう悪趣味な好奇心さえ超えたところにある同じ人間としての責任感が、朧げながら併存していたからだと思う。
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戦争犯罪博物館で実際にホルマリン漬けの胎児と対面すると、米軍が散布した枯葉剤のせいで異常をきたしたその姿は、見るに堪えられないものがった。
生まれ出たものの、その異常がそれ以上生きることを許さなかった。その姿たち。僕は感情と思考との整理がつかないまま展示室を出ると、ミュージアムショップに何の気なしに入った。
そこにはロレックスやオメガなどの中古時計が並んでいた。アメリカ軍人が置いていったものだろうか。そして本物だろうか。だとしたら、それこそ転売などが横行しそうだが、やはり偽物なのだろうか。
僕はいきなり現実に引き戻されつつ、それらから一品選ぶこともなく通り過ぎた。腕時計だけでなく、アメリカが残していったモノは他にも多種あるのだろう。それが物資なら、それを原資や商材として戦後を乗り越えた人々もいるのだろう。僕はサイゴンの白昼を、しばらくぼんやりと、微熱を抱えたような足取りで進んだ。
そんな状態のせいではないだろうが、目に入ってくる民族衣装であるアオザイを着た女性たちの姿にはときめいた。肌の露出はほとんどないのにセクシーに映る。それらはベトナム女性のスタイルの良さにも起因しているのは間違いないが、この国の気候、光、通りの香りなどがアオザイの美しさを引き立ててもいる。
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さらにぼんやりとサイゴンの街を歩いていると、全く脈略なく競馬のことに思いが巡った。
僕は大学生の頃、競馬に入れ込んだ時があった。お金がない時にこそギャンブルをしたくなるとはよく聞く声だ。まったくその通りで、週末になると少ない小遣いを握りしめ、府中の競馬場まで足を運んで背中を丸めて帰ってくることを繰り返していた。
僕はホワイトストーンという名の馬が好きで、彼がダービー3着に入った追い足に惚れ込んでいた。ちなみにそのダービーで勝ったのはアイネスフウジンで僕は単勝一本で勝たせてもらった。そして同時期にターフを走っていたライスシャワーという馬がいて、玄人ファンが多い馬だった。僕がそのライスシャワーの訃報を知ったのはバンコクだっただろうか。
サイゴンの街を歩きながら、僕はライスシャワーの勇姿を心に描き出し、密かに冥福を祈った。
なぜ、そんなことを思い出したのかは誰にもわからない。遅い風が運んできた何かかもしれない。
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翌8月10日の木曜日。僕のサイゴンでの恋はこの日に始まった。
その日は9時に起きて、まず洗濯をした。
旅の中での洗濯は面倒だが気分転換にもなる。狭い部屋に細いロープを渡し、そこへ下着やシャツを掛けていく。それなりに清々しさもある作業で、僕はそういうのが苦にならないタイプだった。
洗濯が済み、サイゴンの街に出ると、バックパッカーの溜まり場であるシンカフェに行き、ハムエッグサンドを朝食にとった。降り始めたサイゴンで初めてのスコールを眺めながら、街が洗われていくの姿の中に、28歳になったばかりの僕を感じていた。その小ささが、心地良くもあった。
スコールというのは、短時間にどさっと降るものだ。
僕は陽が差し始めた雨上がりのサイゴンを悠々とゆったり歩き始めた。なんとも言えない多幸感があり、すべてがうまくいっている、これかもうまくいくのだ、という感覚に包まれていた。理由はわからない。ハムエッグサンドは美味しかった、雨は上がった、光が差している。それだけが言葉に変換できるのだが、幸福はどこからともなくやって来るものだ。
そんな感じで僕がタイホック通りを南へと歩いてると、やがて未舗装の道となり、ぐちゃぐちゃの泥道の中を歩くことになった。
構わず尚も進むと、周囲の食品市場からの生肉や野菜の匂いと泥の匂いとが合わさって、濃厚なものとなった。もとは食べ物の匂いなのに、配合が絶妙なのか、腐臭のようなものになっていて、僕の多幸感は霧散することになった。
足元は雨だけでなく肉汁混じりの泥にぬかり、完全にモーニングハピネスは消えてなくなり、この星のひとつの現実「人は食べなくては生きていけない」へと引き戻されたのだった。食べ物は汚物へと変化する、その現実に。
僕は時々立ち往生しながら、なるべく汚泥を避けながら歩くが、その道は案外長かった。もはや小さな苦行である。
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そんな時に、天使が突然現れたのだった。
ある路地を東に曲がったところで立ち往生している僕を、一台のスクーターが通り過ぎると数メートル先で停車した。運転しているのはサングラスをかけた女の子で、20代前半くらいで髪はボブだった。
彼女は左足を地面につき、振り返るような姿勢で僕をじっと見た。
「ここで何をしているの?」
その女の子は、微笑みながら呆れているかのように英語で言った。
「わからない」
僕は、いったいここで何をしているのか自分でもわからなかった。そのオートバイへと歩み寄りながらそう言った。
「何処へいくの?」
その子は困ったような、でも微笑みながら言った。
「わからない」
そう、僕には行き先などなかった。そう答えるしかなかった。彼女の目の前で僕そう言った。
それを聞いてその女の子はフフッと笑った。そしてリアシートポンポンと叩きながら、乗ってと言うのだった。
何も考えていない脳ミソを乗せた僕は、言われるがままに彼女のスクーターに跨った。その女の子は再びフフッと笑いスロットルを回した。その時の僕からしたら、見知らぬ女の子による悪臭汚泥地帯からの脱出劇であった。おかしなことが一遍に2つも起こり、僕は情報処理をすぐさま放棄した。
そう、僕たち2人ははこんな風に始まった。
東京にいる頃はベスパのリアシートに女の子を乗せて走っていたが、まさか自分がリアシートに座ることになるとは思いもしなかった。しかもサイゴンでだ。
ハンドルを握る女の子は機嫌が良さそうだった。目的なく歩いていた僕だったので、途中に何度も「何処に行きたい?」と聞かれても、アイ・ドント・ノウとしか答えられず、その頼りなさが彼女の母性本能をくすぐったのかもしれない。
サイゴンの風は心地よかった。視界を流れいくサイゴンの風景全てが美しく、その時の僕はまさに夢を見ているかのようだった。もしかしたら本当の僕はあの悪臭汚泥地帯で、あまりもの臭ささに失神し、泥水に頭を浸して甘い夢を見ているだけだっだのかもしれない。
だが、やはりバイクの後ろに乗っている僕が現実だったのだ。
女の子は気ままに角を曲がり、大通りに出て、そして再び路地に入ったりしながら、最後にはグエンフエ通りのアイスクリームショップで僕を下ろした。
当然一緒にアイスクリームを食べるのかと思いきや、その女の子は12時に戻るからここで待っていてと言い残してさっさと走り去ってしまった。
突然現れ、突然去っていった女の子の後ろ姿を見つめながら、僕はしばらくきょとんとしていた。
とはいえ、アイスクリームは好物なので、店内に入りバニラを楽しみながら、その日の朝からの出来事をぼんやりと振り返ったりしつつ過ごした。
冷静になると、まったくおかしな時間のように思えた。東南アジアでよく聞く美人局かもしれないとも考えた。その気になってついていくと、怖いお兄さん型に囲まれて恐喝されるといったやつだ。
僕は、かもしれない、だよな、まさかな、などと考えを巡らせているうちにどうでもよくなった。まあ流れに任せて、勘を働かせて、天命を待つ、そんな気楽さに流れた。
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そして約束の12時が来た。そこから待てども彼女は来ない。席を離れ、外に立って周囲を眺めてもその姿はない。
45分が経ったころ、そうだよな、やれやれ、といった気持ちで会計を済ませ、店を出た。悪臭汚泥地域から救ってもらい、サイゴンの街をバイクのリアシートから見物させてもらっただけでも相当ラッキーだと思い直すことにした。
美人局ではなかったにだけでもありがたいと。そもそも本当はそうだったかもしれないが、あまりにも僕が金がなさそうなのでリリースされたのかもしれない、などなどぶつぶつやっていると、ビビビという警笛音と共に遠くからこっちに近づいてくるスクーターが現れた。
天使に見えたのは言うまでもない。
申し訳なさそうに、ソーリーと言いながら彼女は目の前にスクーターを寄せた。
僕は元々待たせるのも待たされるのも得意ではない小心者なのだが、その女の子の姿にそういう思いは瞬時に溶けてしまった。
私の名前はトラン、あなたは?
何か遅れたことのペナルティを果たすかのような歯切れ良さで彼女はそう言って名乗り、握手をと手を伸ばしてきた。僕はその手を握り返しながら、メイサだと伝えた。
「メイサ?ふうん、メイサね。オーケー。」
口の中でそう反芻した後で、トランと名乗った女の子はリアシートをポンポンと叩いて、乗れと合図した。
僕はまるでそこがずっと昔からの定位置のように、ためらないなく、幾分慣れた感を出しつつ、どかっと座った。
座るか座らないかのうちに、トランはスロットルを回し、僕はうしろに仰け反った。せっかちというよりは、ある種の親しみと遊びを感じた。背中越しだったが、トランが微笑んでいるのが分かった。僕たちは再びサイゴンの街を走り出した。それは10日間の出来事の第1章で、僕は最初の一文を読み終えたのだった。もちろん、その時はその後に起こることなど想像もできずに、悪臭汚泥地帯からの脱出ストーリーの続編の
付録が始まったくらいにしか感じていなかった。
アイスクリーム屋を出発してから30分ほど中心から郊外へと走った公園に着くと、付設のカフェで遅めのランチを食べた。
僕の拙い英語でも役に立つと勘違いするくらいにトランの読解力は素晴らしく、ちゃんと会話になった。
トランはニューヨークに住んでいて、マンハッタンにある大学に通っている。将来は薬剤師を目指しているとのこと。もともとアメリカ人の養子になっているのでビザの問題はない。2年前に結婚を考えたが、自分の夢を優先させてやめた。そんなことを理解した。
僕もそれなりに自分のことを伝えた。東京でカメラマンをしていたこと。もしくは成功への階段を登り始めていたが、気ままに世界を旅するという夢を優先させたこと、などなど。
僕が思うに、会話を通して心の距離を縮めたというよりは、すでにはじめから縮まっていた距離を、会話によって確認しているような感じだった。
その後は僕の宿の近く、ファングラーオ通りまで送ってもらった。そして夕方再び近くのカフェで待ち合わせた。トランはいつでも突然やって来て、ふわりと去って行くのだが、まさに彼女との初日がその全てを語っていた。
僕はその夜、安宿の巨大なベッドで独り大の字になって天井を見つめながら、これからどれだけ生きるかわからないが、死ぬまで忘れられない日々がこれからサイゴンで始まるのだと悟っていた。
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