1995年のバックパッカー#35 ベトナム3 サイゴンは恋の街3
翌朝のトランは非常識な時間にやって来た。6時半。夜は開けていたが、なかなかのものだ。
僕が泊まっているのは民泊で、一階がガレージをそのまま使ったようなリビングになっていて、階上へと続く階段はそこを通らないといけない。つまり、トランはそんな朝早くに見知らぬ家のリビングを通り抜けて僕の部屋までたどり着いたことになる。なかなかファンキーなことであった。
僕たちは、昨夜の熱が残っているままに、そのまま体を重ねて過ごした。朝のコーヒーすら飲まないうちの出来事だった。なかなかファンキーである。ニューヨークスタイル、サイゴンスタイル、どっちでも良かったが、名前が欲しくなるような珍事であった。
僕たちは、二人の間に空気を置く余裕ができると、朝食へと近くのカフェへ行った。
フランス統治の影響として、ベトナムにはカフェ文化が今でも色濃く残っている。そこかしこにコーヒーと軽食を楽しめる店があるのだが、本国と決定的に違うのは、椅子の低さだ。
座ればおのずとクラウチングスタイルになってしまうその低さは、何故そうなったのかは知らないが、元々の生活習慣との混合があったのは容易に推測できた。
僕たちはしゃがむようにして椅子に座り、いつも通りににコーヒーとバケットサンドを頬張って通りを眺めた。
モーニングセックス後の気だるい朝食は、至福であった。ただでさえ曜日の感覚が疎くなるバックパッカーなのに、土曜日と日曜日だけで構成されている世界では、日時計すらなくても全く問題のない日常があった。
トランはまるで出勤するかのように、あとでねと言い残してバイクに跨って去っていった。
そんな毎日を過ごしていると、出来事だけが先に起こり、思考が遅れてやってくるような、やって来もしないような、不思議な時間が僕の中で流れ始めていた。
僕は部屋に戻ると午後の半ばくらいまで昼寝をした。
夕方になるとカブトムシのように目覚め、のこのこと安めの日本食屋へ行った。食事も目当てだったが、何よりも日本語の新聞が読みたかった。
念のために記すが、この物語は1995年に起こっている。つまりスマホはもちろん、インターネットなんてものはなかった。なのでニュースはテレビかラジオ、そして新聞から入れるしかなかった。
外国を放浪している身だが、時々は日本のことを日本語で読みたくなることがあった。そんな時は、日本食屋に行くのが手っ取り早いのだった。
それは当て所ない旅の中で、時々アンカーを下ろす作業であった。アンカーは通常海上で船を固定するための知恵だが、僕の場合は時空間的な現在地をそれによって時々確認していたのだと思う。糸の切れた凧になるには、僕はそこまで大胆不敵でもなかったのだ。
夜になって部屋でのんびりしていると、またしてもトランが突然やってきた。
電話もないのだから、結果的に突然になるのは仕方ないにしても、なんというか、彼女独特の変なタイミングでひょいと現れるので、そのたびに驚かされていた。
トランは僕を乗せて夜の街を滑るようにバイクで走った。交通量は多かったが、昼間よりかはましだった。仕事を終えた人々は今頃家でビールでも飲みながらテレビの前に家族と座っているのだろう。
トランはサイゴン川を見下ろせるカフェへと連れていってくれた。観光客はちらほらで、ローカル色が濃かった。
多くのバックパッカーたちが好むのは、こういうローカルしか知らないような場所だ。それは口コミでひっそりと広まり、やがて周知となって普通のツーリストも訪れるようになり、もはやローカルスポットではなくなるのだが、それはそれとして、トランの案内してくれる場所は、どこも素敵だった。
僕は口にこそ出さなかったが、そういう場所でうっとりしながら過ごしていた。幸せだった。
サイゴン川の流れいく水面を眺めて飽きることはない。それが恋人とならなおさらで、水面に漂う落ち葉のように、二人の会話はあてどなく揺れていたが、憂うべき未来など微塵もなかった。
食事を済ませた僕たちは、当然のように部屋に戻ってセックスをして、そしてトランは宿題を思い出したかのように帰っていくのだった。僕は内心で泊まっていけばいいのになと感じていたが、実家にいる家族たちを思えばそれは望みすぎだった。
翌朝も、もちろんトランはやって来た。七時半。
今夜は父親との約束があるから会えないと伝えるトランの口調は事務的で、さっぱりしていた。
その朝は、それだけを伝えるとトランはさっさと帰っていった。セックスも朝食もなしだった。
ところが、昼過ぎに突然トランが現れて釣りに行こうと誘われた。
釣り?なぜ?
聞けば妹たちと釣りに行く予定だったが、僕も仲間に入れてくれることになったらしい。釣りには全く興味がなかったが、トランの家族に会えるのは嬉しかったのでついていくことにした。
僕はいつものようにトランの後に乗ってサイゴン郊外へと向かった。
釣りといっても釣り堀で、到着すると、トランの幼馴染のぽっちゃりしたミミ、トランによく似た妹と爽やかなボーイフレンド、ボーイフレンドの友達という6人になった。
最年長は28歳の僕で、その日になって急遽現れたロン毛の外国人だというのに誰もがフレンドリーに接してくれて、おかげで和気あいあいと過ごせた。
釣り堀は、それほど混んでなく、ビールやソーダを片手にのんびりと過ごした。特にお洒落なわけでもなく、家族向けの定番の憩い場といった感じで、そこそこ年季が入っている施設だった。
そして、せっかくの釣り堀だったが、僕は釣りには向いていないらしく、それはすでに知っていたことだったが、改めて確認できた。釣れる気がまったくしないし、その通りの結果になる。正直、魚が釣れてもそんなに楽しくないし、釣れないともっと楽しくないだけだった。とはいえ、僕とトランはそれぞれナマズを3匹釣った。
他の人の釣果はよくわからなかったが、釣ったものはそのままリリースして、その釣り堀でランチとなった。簡素な布に覆われた屋外の専用スペースで、魚介類の火鍋をみんなでつつき合って食べたのだが、トランとミミがかなりの量を注文していて、残り物を出さないように、みんなで苦労した。
すごい量だと目配せでトランに伝えると、それがどうした?みたいな表情が返って来た。もしトランと結婚したら、こういう場面がよくあるのだろうと想像した。「いいから残さず食べな!」テーブル越しにそんな声を毎日聞くことになるのだろう。
釣り堀かららの帰りにはスコールに見舞われた。当然だが僕とトランはずぶ濡れになった。気温は高いが、バイクで走るとそれなりに体も冷えた。
民泊に到着し、僕はバイクから降りると、雨に打たれながらトランに手を振った。トランはにこっと微笑んで、そのまま身を翻して雨の奥の方へと去っていった。
その夜は、トランが突然に来ることはなかった。僕は部屋のドアを勢いよく開けて入ってくる彼女を想像しつつ、すやすやと寝入ったのだった。
翌朝は8時にトランはやって来た。すでにモーニングコールのようになっていたトランの訪問だった。トランは僕に朝の訪れを告げると、9時半に戻ると言い残して、一旦帰っていった。
僕たちは再合流して、ラッキーカフェに行き、ツナサンドを食べた。割と食には厳しい採点をするトランも、ここのは美味しいと言ってくれた。
ある程度食事を済ませると、明日は私の家に来て親に会ってほしいとトランに突然切り出された。サンドイッチを食べてる最中でなかったので、吹き出さずに済んだ。
僕は、数秒の間を置いてからオーケーとできるだけナイスに返した。
トランによれば、日本人と毎日デートしていることを父親は心配しているのだと言う。なぜならあなたが日本人だから、とトランは解説した。つまり赴任して来た日本人の現地妻みたいに扱われているのではないかと訝しんでいるらしいのだ。会っても貰えば父も安心するから、ということで、僕は明日トランの実家に行くことになった。
その後は幼馴染のミミの家近く露天市場へ行き、トランが注文していたワンピースをピックアップした。できたばかりのワンピースを胸の前に掲げてから、似合う?と聞かれたので、正直にとても可愛いと伝えると、トランが微笑みながらじっと僕の目を覗き込んだ?お世辞かどうかを見破ろうとしている感じで。
ちょうどスコールが来たので、屋根のついたエリアを巡りながら時間を潰した。日用雑貨、食品、貴金属、電化製品、洋服など、なんでもある市場で、ローカル向けだった。
そしてちょっとした事件が起こったのはその日の午後だった。
スコールが上がり、ランチを済ませ、部屋に戻ってセックスをしていると、誰かが部屋のドアを強くノックして来た。その音は、遠慮のない強さで、何か良くないことを示していた。僕たち二人は慌ただしく服を着て、一息ついてからドアを開けた。
そこに立っていたのは、宿の主人のお父さんだった。なんとも言えないその表情で、僕は大方察しがついた。有り体に言えば、お父さんは、仕方ないなあという顔をしていた。
いわゆる売春を取り締まるために、外国人と現地の人は同じ部屋で過ごしてはいけないという決まりがベトナムにはあった。特にホテルでは出入りする人を厳しくチェックする係までいて、連れ込みなどを国を挙げて排除していたのだ。観光都市として風紀を守るというのは大切だし、真っ当なことだ。
僕がお世話になっていた部屋の主人は、外国人とベトナム人は一緒に部屋にいれないんだよ、みたいなことを穏やかだが譲れないといったきっぱりとした口調で僕たちに説明すると、明日にでも出ていってほしいと僕の小さい目を見て言った。
そういう決まりがあることを知らなかった僕は驚いたが、それはそれで仕方がないことだった。逆に言えば、その日までは見逃してくれていたということになる。トランが早朝にやって来るのもストレスだったのかもしれないし、子供達の教育にも悪かったかもしれないし、近所の目も当然あったのだろう。
僕は、素直に謝ると、明日までには出ていくので安心して下さいとお父さんに伝えた。トランも済まなそうな顔をしていて、なんだか二人は惨めな気持ちになった。
トランは静かに帰っていき、明日の約束をして、その日は再び会うことはなかった。
僕は翌日に別の安宿にチェックインした。VPホテルというところだ。
昨日交わしておいた約束通りに午後の3時半にカフェで待ち合わせをして、彼女の実家へと手をつないで訪問した。トランとサイゴンで出会ってから6日目のことだった。僕は地球の自転よりも早く生きている気がしていた。