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1995年のバックパッカー#30 カンボジア1 シェムリアプ アンコールワット見参。そして山盛りガンジャ。

早朝6時半に、キャピトールホテルをタクシーで出発した。

ぐっすりと眠れたので、目覚めは良く、田舎道を進む景色が眩く感じられた。

朝というものは希望に満ちてしまうものらしい。東南アジアを旅するバックパッカーたちに恐れられていたカンボジアのプノンペンですら、清らかで穏やかな空気に包まれていた。僕はその清々しい情景をタクシーの窓越しに眺めながら、なんともいえない安らぎを感じていた。

道ははそれほど悪くなかった。この感じなら数時間でもへっちゃらだと安堵できるものだった。もっと喉から胃が飛び出すような悪路を想像してたので、幸先がよかった。

トンレサップ湖まで4時間くらい走るとばかり思っていたが、タクシーは30分ほどでとある川岸へと到着し、僕たちはそこで降ろされた。

ドライバーや岸にいる人に尋ねてみると、どうやら目の前に流れるその川はトンレサップ湖に繋がっている川で、僕たちはここから船に乗り換えて川を遡り、トンレサップ湖に合流し、そこからさらに北上してシェムリアプに辿り着くということだった。

どうやらプノンペンからトンレサップ湖南端へと向かうルートは古いものになっていたらしい。陸路は危険だと聞いていたので、水路のルートが伸びたのは好都合だった。タクシーに乗り合わせた者たちは、納得してその船に乗り込んだ。

船は細長く、屋根がついていて中には1列に4席が横に並び、それが15列ほど奥へと配置されていた。中央には一人が通れるほどの通路があって、粗末で簡易的なトイレは一応奥の方にあった。



この旅の始まりの頃、中国の天津から北京行きのトイレなしバスの車内で、僕は我慢できずにビニール袋に放尿した経験があり、それはちょっとしたトラウマであり、以来長距離移動のバスや列車ではトイレの有無がどうしても気になってしまう。というより僕には絶対条件に近かった。

なので、その頼りないボートに一応トイレらしきものがあると知った途端、他のマイナス面にはしっかりと目を瞑る覚悟ができた。トイレさえあれば、どうにかなるというのが、その頃の僕であった。

ボート乗り場は、それほどの規模もなく、これからカンボジア最大の観光スポットであるアンコールワットがあるシェムリアプへと僕らを運ぶにしては貧弱で古すぎだった。

だが、そんなことはどうでもいい。トイレがあるボートなのだ、最高じゃないか。

トンレサップ川はたいして川幅もなく、両岸から盗賊による銃撃でもあったら完全にお手上げになるのが目に見えていた。そしてボートにはセキュリティなどおらず、据え膳のように丸腰なのだった。

だが、下手に銃を持つ者が乗船している方が、盗賊を刺激しかねない。僕はガタガタと進むボート上でそんなことをぼんやりと考えていた。

ボートは数時間進み、やがて行手が大きく広がってトンレサップ湖に合流したことをわかった。


トンレサップ湖

水は相変わらず濁っていたが、景色の広がりは乗船客の表情を明るくさせた。どの顔にも疲れ以上に希望が浮かんでいた。僕たちは間違いなく目的地へと遡上しているのだ。

結局6時間ほどかかってボートはトンレサップ湖の北端へと到着した。

着岸と同時に降り出した雨は、どんどん強くなり、それでも乗船客は下船してシェムリアプへと進まなくてはいけなかった。

岸に上がると、雨を凌げるものは皆無で、下船客を目当てにしていた売店も商売どころではなくなっていた。未舗装の道は、どんどん水浸しになり泥となって流れ出し、黒澤明監督の「七人の侍」の有名な雨の戦場のシーンのように散々だった。

数台止まっていたタクシーと悠長に値切り交渉などしてる余裕もなく、運転手たちの言い値でシートに飛び込んだ。

当然、車内も水浸しになったが、いい商売になったらしい運転手は、そんなことは全く気にならないといった笑顔でハンドルを握ってエンジンをかけた。

とにかく盗賊の襲撃を受けずに済んだ。それと引き換えの雨ならばどうってことない。僕は不思議な損得勘定を頭の中で済ませ、それは安堵となって微笑みに変わった。乗り合わせた隣の乗客にはちょっとおかしな奴だと思われただろう。


シェムリアプへは30分ほどで到着した。

船着場の豪雨は一時のスコールで、街は雨上がりの静かな佇まいを見せていた。

シェムリアプの最初の印象は悪くはなかった。いや、そういう消極的な言い方はよそう。かなり好きな雰囲気だった。なにしろ田舎だが、裏寂れてはおらず、品のある田舎だった。

基本的に都会も大自然もなんでも好きな僕だったが、最も落ち着くのは、こういった品のある、文化のある田舎だ。たとえば、日本でなら奈良だろう。

僕はあらかじめ決めていたゲストハウスに向かった。

安いゲストハウスが並ぶエリアには、住所の数字3桁がそのまま名前になっているものが横に並び、129、243,279といった具合だった。僕が目星をつけていたのは260で、真新しい情報に従ってみた。

キャピトールホテルの日本人向け情報ノートを見て来た260だけあって、そこは日本人宿だった。その多くは大学生であり、夏休みを利用して旅をしている者たちだった。僕からしたら弟になる年頃だった。

僕は久しぶりに日本語の会話を存分に堪能することになった。この旅ではチベットのラサ以来の日本人宿で、旅のアクセントとしてはとても楽しいものだ。

旅の中では、未熟でも英語で通さなくてはなならず、それでも毎日英語を話していると、口が英語になっていくのだが、こうしてまとまって日本語を久しぶりに話すと、口がまだ英語の形になっていて、妙な日本語の発音、つまり外国人の話す日本語に近いのが面白かった。


ドミトリー快適
エアコンなし

260に居合わせた日本人に混じり、一人だけロシア人の大柄な青年が滞在していた。

ゲストハウスの共有スペース、つまり小さなリビングに円になって座る日本人の中に彼も気後れせずに加わるのだが、ある時中国語を話せる日本人の大学生がいて、そのロシア人も中国語ができたので、彼ら2人だけ中国語で会話を始めた。

居合わせた4、5人の日本人の若い男の子たちは、物珍しいものでも見るように、割とみな真剣な表情でその会話を見つめていた。その様子は、まるで日本人たちに詰問されている一人のロシア人のようになり、元々誰もそんなつもりはなかったのに、空気が強張り始めた。中国語は日本人からしたら喧嘩をしているように語気が強いこともあり、いよいよその場の空気は強張った。詰められるロシア人にしか映らない情景であった。

誰かが冗談のひとつでも言えればよかったものの、そういう機転と語学力もないまま、いいとは言えない雰囲気が続いた。

だが、それを救ったのはネイチャーであった。

260のリビングには山盛りのガンジャが置いてあり、それはフリーなのだった。

そこにいた日本人の誰からともなく、そのガンジャで一服し始めると、途端にその場の空気が緩んだ。そのうちロシア人含む全員が一服し始め、僕たちは煙に巻かれたおかげでフレンドリーな時間に包まれた。ネイチャー最高である。

こんなこともあり、僕にとってのシェムリアプは、260ゲストハウスでの出来事からの影響が色濃くある。リビングに無料のガンジャが積まれてあるなんて、お菓子でできた家のような、御伽話である。だが、これは1995年の事実なのだった。

そして、僕にとってのカンボジアは、アンコールワットであった。アンコールワットがこの国になかったら僕は寄らなかっただろう。治安の悪いなか、わざわざ向かったのは、アンコールワットへの憧れがあったからだ。

僕の小学生時の夢は、考古学者になることだった。それはあるテレビ番組で知ったアンコールワット、マチュピチュへの好奇心から来るものだった。卒業文集にその夢を記しているくらいだから、少し変わった子供だったことがわかる。

なので、この地球上で訪れたい場所2つのうちの1つがアンコールワットだった。

僕はさっそく到着した翌日に、その憧れのアンコールワット、アンコールトムを訪れた。

260ゲストハウスで予約しておいたバイクタクシーに乗って、森の中を進むと、その奥に憧れたのアンコールワットの建造物が姿を現した。それはそれは僕にとって時空を超えた感動的な瞬間だった。

千葉の小学校の教室から憧れ続けたアンコールワット。いつか行きたいと願い続けたアンコールワット。僕はバイクのうしろに跨りながら、次第に近づいてくるその姿に涙が出そうになっていた。

バイクはアンコールワットの正面に停車した。ドライバーはそこで待機となる。早朝だが、すでに結構な人が居合わせている。

アンコール・ワットとは、その背後にある巨大なアンコール遺跡群のわずか一部に過ぎず、1日がかりでも見切れるサイズではない。また、日中は灼熱下となるので、できるだけ早朝からスタートするのがよしとされていた。

僕は、一歩一歩を踏み締めるようにしてアンコールワットへと近づいていった。その壮麗な石造りの神殿は、僕の中の少年を刺激し、それ以上に自分の中に眠っていた精神世界への扉が一つずつ開かれ始めるような不思議な感覚を伴った。

それはアンコールワットから招かれているようでもあり、さらにもっと大きな人類の遺産全体、さらには未知の得体の知れないサムシング・グレートへと繋がっているようだった。

とにかくこの時の僕は15年来の誘いを果たしているのだった。


アンコールワットへ参道

僕が憧れだったアンコール・ワットから得たものは大きく2つあった。1つは、石へのリスペクトであり、もう1つは微笑みからの癒しである。

日本の木造建造物との大きな違いは、素材だ。僕はその石という素材に強く惹かれた。石、岩というのは、日本のアミニズムにも繋がり、信仰の対象そのものでもあり、ストーンサークルなどの例にある通り聖域を作る素材ともなる。アンコールの造形に存分に魅せられたあとで、僕はその素材によって心の何か動かされていることに気づいたのだ。


そしてアンコール・トムにある微笑む神像はクメールの微笑みと呼ばれれ、その名の通りに微笑んでいる。もともと仏像だったとされるものだけに、なんとなく親しみを覚えるのだが、微笑みというのは素晴らしいエネルギーを発するのだなと素朴に感じ入った。

これを人間の暮らしに役立てるなら、微笑みを心にそして顔に浮かべて過ごす日々というのは、きっと尊いに違いない、そんな思いに至った。

地球を適当にうろうろしている僕だったが、そんな男にすらまともなことを思わせてしまうアンコール遺跡群というのは、そこにたっぷりと蓄えられている癒しの力があるのだろう。

これはとても1日では見切れないな、というのが平凡ながら正直な僕の感想であった。


27歳





 

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