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藤代雑記。#2「レモンツリーと子供たち」

東京に引っ越してきた時に植えたレモンの木がずっと不調だったが、今年の春になって回復し始め、初夏には瑞々しい若葉を繁らせた。こういう出来事はじんわりと嬉しい。そして、早くも翌年の収穫を心待ちにしている自分がいて、レモンが好物でもないのに不思議に思った。健やかに成長していく果樹とその実の未来の明るさを支えに、一向に定まらない不確かな自分の性分を照らしたかったのだと思う。

このレモンの木の話を進める前に、ちょっと迂回する。

先の冬は寒さが厳しかった。「今年は、寒いね、歳のせいなのか、堪えるよ」と会う人ごとに挨拶に混ぜ、そう口にすることが多かった。

だが、返事はそれを否定するものがほとんどで、「え、今年は暖冬だよね」などと皆は言う。都心の知人友人が多いので、町田とは気温が違うのかなとも思ったが、だとしてもせいぜい1、2度の違いだ。

つまりは、この古家の造りのせいか、断熱材のしょぼさのせいかは分からないけれど、ちがいない、家に原因があるのだと思うことにした。

我が家には、玄関側の東にちんまりとした前庭がある。朝には、まあまあ朝陽の恩恵を受けるのだが、太陽が南へと移動すると、家の南側に広がる雑木林によって
日光は遮られ、影の中の寒々しい前庭に変わる。

引っ越したばかりの前庭は元気のない雑草がちょろっとあるばかりで、玄関先になのに、寂しかった。よく知らないが、おそらく風水的にもこれではまずい。
私は近所のホムセンでレモンの木を買った。前庭を明るくしたいと思ったからだ。無論レモンの木は日光を好むと知っていたけれど、適応してどうにかなるだろうと深く考えなかった。

だが、案の定そのレモンはうまく育たなかった。はじめこそ実を付けたが、それはホムセンでの管理のお釣りのようで、我が家の前庭には馴染めていなかった。可哀想なものであった。

葉はほとんど落ち、うずくまるようになんとかじっと堪えている、そんな姿を数ヶ月もの間見せていた。

この春、前庭があまりにも寂しいので、意を決して、様々な花や植物を植えることにした。玄関の前の風景は大切だと知りつつ放っておいたことを反省した。外出や帰宅のたびに目に入る景色がこれだと、心の張りにも影響する。

私は花にうとい。ホムセンで惹かれた草花を、惣菜屋できんぴらや揚げ豆腐でも選ぶように買って帰り、前庭に植えていった。ひとつ、ふたつ、みっつと増えていくごとに、心が華やいでいくのが楽しい。やはり草花はいいものだ、としみじみした。

買った時についてくる名札も草花の横に添えて土に差したが、もとより名前など覚える気はない。お客さんが知りたくなったらそれを読んでもらおうと、つまり楽をするためのものだった。

私は、黄色い花をいくつか植えた。数日後に蕾は花開き、思惑通りに寂しい前庭に太陽の真似をした花が映えた。うん、うん。私は何度もひとりで頷いて満足した。

植え始めてみると、前庭は案外広いことに気づいた。まだまだスペースがあり、私はホムセンや近所の園芸店で安価で強そうな苗を買い足しては植えた。

数日、1週間、2週間もすると、それらはしっかりと根付き、それぞれのペースで成長しはじめ、春の庭を賑わせてくれた。うん、うん。私は入学したての生徒たちを教壇から眺めるような心地だった。若い命、伸び盛りの者たちというのは、美しいなどと、少々じじくさく感じ入った。

こういうのを相乗効果とでもいうのだろうか。相乗効果、実に色気のない言葉だが、あれだけ辛そうだったレモンの木がむくむくと冬眠から覚めたように若葉を伸ばし始めたのには、正直驚いた。それに気づいた瞬間は、ん?と声が出たと思う。周囲からの若い命のざわめきに、自分もまだ終わっていない一つの命であることに気づいた、そんなレモンに見えた。

そして、夏が来た。
7月は、暑過ぎた。雨は少なく、いつの間にか梅雨は過ぎていた。妙な気配のする7月であった。少し不吉でもあった。

朝夕の水やりをしつつ、どうにかこうにか草木を枯らさずに済ませた。二年目になるホワイトセージは逞しく伸びた。ネイティブアメリカンにとってこの草は、祭祀で使われる聖なる草である。私は、その香りがとても好きで、けっして安くは無いが、常に買い置きしていた。
健康に育ってくれた庭のホワイトセージの葉を、生え替わりのタイミングで摘んで乾燥させてから焚くと、北米大陸とその民の集落へといつも誘われた。美しく気高い香りなのだった。

近所の路肩に自生していたセダムを庭に移植するのも楽しかった。彼らも庭にすぐ馴染み、グラウンドカバーとしてこの前庭にふさわしいと思えた。前庭が美しいと、帰宅が楽しい。私は、用もないのに、玄関先にぼうっと立ち尽くし、庭を愛でている時間を大切にした。

そうこうしていた八月のある朝、庭に水やりをしていると、昨日までは若草色の葉を繁らせていたレモンの木の様子が一変しているのに気づいた。葉のほとんどが虫に喰まれていたのである。


耳をすばせば、むしゃむしゃと音が聞こえそうな勢いで、10頭ちかくの芋虫がせっせと朝食に夢中になっていた。大切にしていたレモンの木の一大事に愕然となりそうになったが、そうはならずに、その芋虫の可愛さにに、ハートの矢で心を射抜かれてしまったのである。

この酷暑の最中、親のアゲハ蝶は、まさに賢母であった。美味しく柔らかなレモンの木に産卵したのだ。
この場合、助けるべきはレモンの木か、チーム芋虫か、というところだが、こう言う場合に、人間ができることは決まっている。放っておくことだ。

私はしばし彼らの食欲に関心しつつ見守ったあと、裏庭に来る地域猫の朝食と自分の朝食のために、一旦家に引き上げた。


そして1時間後に再びレモンの木に戻ると、おかしなことに芋虫たちがじっと一時停止していたのだった。ただじっとしているのではなく、だるまさんが転んだ遊びでもしているように、頭を宙に伸ばした不安定な状態で一時停止しているのだ。

私は、鳥などの天敵を察知した反応かと想像したが、周囲の枝には芋虫を狙う鳥の気配はなかった。もしくは気温が上昇する前に、一種の防御としての固まりなのかとも考えた。無駄な動きで体力を消費しないようにと。これは専門家の意見を参考にしたいところだが、そこまでの情熱はこの件に関して私にはない。

ただ、一時停止した彼らの姿は、これもまた可愛いのであった。ぷっくらした形は、鳥からしたら食欲をそそるものだろうが、私にはサナギから羽化へと変態する奇跡の一片として畏敬の対象でもあった。


それにしても、前庭のレモンの木は、なかなかごつい人生を巡っていると思われる。葉を全部喰まれても、また復活すると思うけれど、いやあ、ごつい。

でも、喰んだチーム芋虫とて、アンニュイな人生を送れるわけでもない。蝶となってなって大空を舞っても、鳥などの天敵ばかりだ。せめて、今この時を謳歌しておくれ、と願うより私にできることはない。

すでに、立秋を過ぎた八月。夕刻には蜻蛉が前庭や裏庭、その奥の雑木林を舞い始めている。日中の気温は相変わらず30度を超えるけれど、すでに秋の始まりを私は感じている。

ぐるり、ぐるりと季節は巡る。ぐおん、ぐおんと地球は回る。レモンの木と芋虫の話は、特にオチはない。しばらくは彼らを観察して過ごすのだろう。そして芋虫は去り、レモンの木は、再生へ向かうのだろう。私にはそれら一連の動きが、とても神聖なものに映る。玄関先にぼうっと立ち尽くす私は、時々他にやりようもなく、手を合わせて目を閉じている時がある。


 

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