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ミュージカル「この世界を片隅に」を観て。

この世の一番の贅沢は、「自由」なのではないか。

自由には、お金がかかる。
私は、大学進学と同時に上京し、職だけで考えれば地元に戻ることも可能だったかもしれないが、実家から通えるところを選ばなかった。それは、実家から離れあらゆる「自由」が欲しかったからだ。

経済的にも自立する就職は、学生の上京時のひとり暮らしとは比べものにならないくらいの「自由」を手にできた。一方、家賃、生活費は全て自分で自己負担であり、家事や買い物、日常の雑務も全部一人でこなすこととなる。実家を選択すれば、貯金はもっと溜まっていたであろうし、休日の自分時間も増えていたであろう。

自由を手にするというのとは、そういうことなのだと思う。

先日、母親とミュージカル『この世界の片隅に』を観劇した。漫画とアニメで有名な作品であるが、私は一度も観たことがなく、あえて前情報も入れてなかったため、完全な初見だった。

自分の居場所とはどこなのだろうか。
居場所とは、必要とされる場所なのだろうか?

命は本人が望まぬして生まれ、生きる世界では正義だと信じられている戦争が行われている。しかし、それは敗戦と同時にただの暴力となり、罪のない人たちが終戦後も原爆病で亡くなる。
たまたま空襲があった日にそこにいたり、たまたま歩いた道に時限爆弾があったり、本人たちの意志に関係なく残酷な日々が淡々と進む。

描かれた1945年前後の呉と広島の営みからは、「不条理に包まれた生活の中で、自分はなぜそこにいて、生きているのか?」を突きつけてくるものだった。
そして、今も昔も変わららず「自分の居場所は、自分で見つけるしかない。自分でその場所を選び、受け入れ、生きていくのだ」というメッセージに、私は涙をするしかなかった。

「選択をする」ということは「選ぶという自由を行使する」ことでもある。選択肢を持つのは自由がある証だ。つい、思い通りにならないと気をもんでしまうけれど、そもそも希望を持って選択を選べてることが奇跡だと思うと、色々なことがもっと受け入れられるのではないかと思う。

2日ほど遅れてしまったけれど、終戦記念日に想いを馳せ、こんなことを記録しておこうと思う。久しぶりの投稿が重たいものとなってしまった。それでも、忘れたくない、観劇後の気持ちを残さないではいられなかった。



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