Legcuffs
「自分って〜〜な人間だから」というのは救いにもなるんだけど、足枷にもなると考えてた
自己理解によって必要以上の罪悪感を切り離せるけど、自分のできないことを性質によって言い訳してるとも思えるし
正しいと思い込んだその性質によって本来残されていた可能性がなくなってしまうこともあるなと感じてる
HSPやMBTIの性質知ったときはだいぶ気が楽になったけど、その定義にとらわれてしまっているような気がしたり
正確に理解できてないだけかもだけど、正確に理解するのもまた難しいわけで、中途半端に取り込んだ知識で判断している状態かもしれないし
占いも好きだけど、結果に一喜一憂して振り回されてしまうのも疲弊してしまうし
(だから占いを見るときは、結果を無骨に並べたやつじゃなくて、読んだときに前向きになれる文章の人のを見るようにしてる)
人は環境や気分によっていくらでも変容していくものだから、前まではそうだったけど今は違う、ということも大いにあるだろうし
やってみたら意外とできることだってたくさんあるはずで
でもそのことに気づかず、これが自分だと思い込んだ性質の定義を引きずって、適切ではない自己理解の運用をしてしまっているかもって思えてきて
だから「自分は〜〜だからできないや」とか「自分は〜〜が苦手みたいだからやめておこう」の後ろ向きな言い訳にするんじゃなくて、
「新しいことに挑戦するときにこの性質を活かそう」、「苦手って言われてたけど私は例外だ」ぐらいの未来志向の判断材料として使う意識が大事だと思う