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ネットを始めればすぐにシェアすることを求められ、拡散はされればされるほど良いとされていて、常に他者からの評価と隣合わせの世界。
この資本主義の世界では沢山の人に届くことが正義であり、沢山の人に共感されるには普遍的・一般的であることが求められる。
また逆に他者の世界が流れこんでくることによっても自己が膨張・拡張し、オリジナルの価値観が画一化・菲薄化されていく。
どんなに感動して心を動かされたコンテンツも、一瞬笑って条件反射的に反応したコンテンツと同じ「1いいね」の評価に収束してしまう。
そうやって外部の情報にさらされているうちに、知らず知らずのうちに他者の意見がインストールされ、気づかないうちに自己変容が起きているので、自分本来の意見を守ることがすごく難しい。
ネット以前の空間的・時間的制約は私達を分断していた障害であったとともに私達を守っていた。
でももちろん、知らない世界を知ること、自分の考えがアップデートされることは大事なことだ。
私だってネットはめちゃめちゃ大好きで、びっくり人間がたくさんいるし、いろんな人の生態系をこんなに身近で観察できるなんて面白いと思う。尊敬出来る人もたくさん知れたし、その人達から学べた内容は私にとっての財産だ。
ただ、ここで問題にしているのは外部の情報にさらされることによって自分の中の軸がぐらついてしまうリスクが以前より大きくなっているということだ。
ネットの膨大な情報の海に潜るという別種の地獄が生まれたのだから、その地獄と付き合っていかなければならない自覚を持つべきだということだ。
そしてその地獄は一体どのような種類の危険なのか理解していないと、簡単にその渦に飲み込まれてしまうということだ。
だから今自分の中の考えにどのような変化が起きていて、それはどのような意味をもたらしているのかじっと観察していかねばならない。そして自分が選び取る価値観の取捨選択を欠かしてはならない。
自分の中になかった価値観は救いになることもあれば呪いになることもある。
自分の考えが変化した瞬間を見逃さないようにし、そしてこの変容は自分にとってどのような意味をもたらしているのか考えていく必要がある。
変容の今すぐに結論が出るものではない、むしろ出してはいけないとも思うけど、この先もずっと解釈することを諦めない姿勢を持ち続けることは大事だろう。