弾丸伊勢旅行
※個人的な備忘録な要素強め
大晦日と元旦に、伊勢神宮とその周辺をお参りしてきた。
11月の末頃に夫が突然「行こう」と言い出し、受験生である娘の冬季講習を回避した結果の、旅程。
時期が時期だから懐はかなり痛んだが、諸事情絡みまくって家族旅行には長年縁がなく、6年前に夫が癌を患ってからは、日帰りの遠出も難しくなった我が家。
その夫自身が、強く希望したこと。
春には次男が、就職を機に家を出る予定であること。
娘にしても、高校でうっかり活動の盛んな部にでも入ったら、向こう3年は旅行なんて組めない。
就職活動中の長男も、いつどんなタイミングで家を出ていくかわからない。
そんなこんなを考え合わせ、思い切ることにした。
ちなみに、夫はアーメンの人である。
何故、伊勢神宮?
まぁいいや。
どうせなら、80歳の私の母も連れて行こう、今はそこそこ元気だけど、ここ逃したら年齢的に、いつどうなるかわからんしな!…となり、総勢6名で出発。
夫しか運転できない我が家、渋滞を避けるために、出発は30日の22時。
1時間に1度はトイレ休憩を挟みながら、予定通りに早朝には二見興玉神社に到着。
天岩戸の、その奥の穴を覗き込んだり、夫婦岩を見物しながら、お参り。
娘が大吉のおみくじを引き当て、キャッキャしたかと思ったら、読み進めるうちに顔を顰めて「なんか見覚えがある」。
財布から、修学旅行時に清水寺で引いたおみくじを取り出して見比べ,9割方同じ内容にゲラゲラ。
特に、旅行は西方面に吉と2枚ともに記載があり、改めて今回はそういうタイミングだったのかな…なんて。
「これで受験はバッチリ!」
……いやいや、そこは努力すればって書いてあるがな。
VISONというリゾート施設へ移動。
ここで入浴と仮眠と、ブランチ。
さっぱりしてお腹も満たして、特産の真珠を使ったお手頃価格のシルバーアクセを買ったり楽しく過ごして、いざ伊勢神宮へ。
この日は下宮のみ。
鳥居をくぐった瞬間から、変にテンション上がってるのを自覚。
とにかく、ここに来ることができたことが嬉しくて、ずーっとヘラヘラ締まりなく笑いながら、お参りする宮々で感謝しまくる。
夫が下調べして、もともとお願い事をするところではないのだと聞かされていたせいもあるだろうけど。
下宮をひと通り回って、次は急ぎ猿田彦神社へ(夫調べによると、15時半だかを過ぎてはダメらしい)。
30年くらい前に読んだ「火の鳥」の内容をぼんやり思い出しながら参拝。
すぐ隣の猿女神社とやらに、やたら芸能人の名の入った幟旗が立っているのが気になって、由来など書かれた立札を読めば、うずめ様?!(そう言えば、火の鳥でも猿田彦様の奥様はうずめ様でありました)。
通りで…と、某ダンスボーカルグループの名の入った幟を改めて眺めながら、帰るモードになっている子供たちを引っ張ってきて(長男は絵、次男は歌、娘はピアノをそれぞれ本気で、あるいは趣味レベルだけどそれなりに真剣に頑張っているので)お参り。
私自身は、ハープの先生とのご縁が出来たら有難いなぁとお祈り。
まじでお願いしますうずめ様、ここらでいい加減レッスン本腰入れて始めないと、せっかくあつらえた自前のハープの寿命がじきに来てしまう。それはとても哀しいので。
その後はでっかい無料の駐車場で少し仮眠を取ったりしながら、寿司割烹店で早めの夕食を済ませて、宿へと移動。
アパートの2階を旅行客用に日貸ししている宿で、間取りは3DK(ただし、据え置きのコンロは電気・ガス共になし、電子レンジと電気ポットあり)トイレと風呂も狭いながらにそれぞれ独立。
古さは否めないけど清潔感はあるし、気安く寛げる雰囲気なのは良かった。何より、割と無茶な日程組んで動いている身には、旅館のように中居さんの出入りのないことや、食事その他諸々で他者と遭遇せずに済むこと、そこそこ防音性があることが、とても有難い。
紅白を流しながらだらだらとベッドに転がったり、各自好きなタイミングで入浴したり、お椀に入れてお湯注ぐだけのインスタントの蕎麦を食したりしながら、就寝。
明けて元日。
4時に起床、新年の挨拶もそこそこに車に乗り込み、再び伊勢神宮へ。
前日に観光ガイドの職員さんに申し訳ないくらいあれこれ質問しまくって下調べした結果、道路の渋滞もなく、徒歩圏内に設置された臨時駐車場にすんなり入れた。
まだシャッターの下りた店ばかりのおかげ横丁を通って、内宮へ。
人出はそこそこあったけれど、行列凄くておしくらまんじゅう…なんてことには全くならず、各宮をゆっくりと参拝して歩くことができた。
惜しむらくは日の出前だったので、お社の造りなどをじっくりと見学出来なかったこと。
いつかまた機会を作って、日中にゆっくりと訪れたいものである(後日、職場の「年一で伊勢に行く」同僚に、「次の遷宮の時期を目指しては」とお勧めされた)。
駐車場へ戻る際には、おかげ横丁であれこれお店を冷やかしながら、楽しく歩いた。
参拝客のお供をしていた紋付袴姿の芝犬くん、可愛かったなぁ。
一旦宿に戻り、インスタントの豚汁にレンチンした餅を入れてのお雑煮と、持参したお節とで、朝食。
おかげ横丁で購入した赤福なども食べながら、再びダラダラゴロゴロ。
夫と母は仮眠、
子供達はそれぞれ持ち込んだゲーム機やパソコンで、ネット対戦だの、作曲だの、紅白の気に入ったシーンを見返したりなど。
私は何してたっけ…確か、電子で本読んでた気がする。
昼前に再び外出。朝熊岳金剛證寺へ。
寺院の佇まいも良かったけれど、なんと言ってもすぐそばの展望台からの景色に圧倒された。
360度見渡せて、伊勢湾を一望。遠くには薄らぼんやりと富士山も窺えて、晴れ渡る空とも相まって清々しく、心が洗われるというか。
車が揺れるほどの強風だったのが少し残念だったけど、この絶景を見られただけでも、訪れた甲斐があったなと思える。
併設の物産店で近所や職場へのお土産も買い終え、コンビニで夕飯用の弁当など買いこみ、宿へ。
帰り支度など始めたところで、地震。
慌ててテレビを点け、日本海側での震度発表に息を呑む。
今回の参拝で、願い事をしても良いのだと夫が教えてくれた場所では、自分事よりも、世の中平和でありますようにとか、家族、友人、知人を御守りくださいと祈っていた。
その直後の惨状に、なんともやりきれない気持ち。
また、太平洋側でなくて良かったと一瞬でも思ったことに罪悪感。
ネットを介して知った作家さん、Xの相互さん、金沢在住の元からファンの漫画家さん…皆、どうしていらっしゃるかとザワザワしつつ、帰り支度と夕食、宿でのゴミ処理など済ませて、往路同様に22時出発で帰路に着いた。
高速道路も地震の影響は無く、Uターン渋滞にも早かったようで、2日早朝に往路同様スムーズに帰宅。
またまた仮眠を取ってから、母が友人に預けていたインコを引き取ったり、家族全員の汚れ物の洗濯をし、食材を買い足したりして日が暮れた。
能登からの報告は、時を経るごとに深刻さを増していく。
相互さんは避難生活に不自由されながらも、お命は無事だったらしく、ひとまず胸を撫で下ろしたけれど……。
楽しいと思い出と共に、自分の無力さとを改めて突きつけられた年始。
この後、年末までの間に、私に何ができるのかな。