もう二度と駐妻にはならない
タイトルのまんまの内容です。
「転勤族は変化・刺激に満ちた人生になる」と言われたことがあるのだけれど、前回のNoteにも書いたようにうちの子供には必ずしも変化(海外引越)がプラスになるわけではないことが身に染みてわかった。
夫は現職に就いている限り今後も海外転勤の可能性がある。
その時家族はどうするか、本帰国後ときどき話し合っている。
まず子供。
赴任についてくれば異文化の体験や外国語の習得などのメリットがあるかもしれないが、人間関係序の口の幼稚園時代でさえ苦痛だったのに、さらに複雑な人間関係を形成する年頃になったら適合は難しいだろう。
帰国子女ならではのスキルや経験を身に着ける前に精神に不調を来たしそう、というわけで置いていくことにした。
そして私。
・子供を実家に預けて帯同する(再駐妻)
・子供を寮付きの学校にぶち込んで帯同する(再駐妻)
・それまでにマイホーム得て母子で残り再就職する(NO駐妻)
3つくらい案が出てきた。
若い頃は無自覚に夫の召使になるくらい愛情を注いでいたが、今はそうでもない。
私の愛は有限なので、子供たちに注いだ後の残りの分しか夫用には残されていないのだ。
そして、子供は海外に連れて行きたくない。
残ろう。
ここまで一言でまとめると
夫<子供
ところで、養ってもらっているくせに、なぜ私が召使の頃から自己肯定感が尽きはしないのか、という話をしたい。
それは、稼げないけど夫ができないことができるからだと思っているから。
うちの夫は仕事(学生時代は勉強)以外何もできない。
例えば、地図が読めない、土地や人(+交流)は覚えない、値段やサービスの比較ができない…
具体例を挙げてみる。
・店員に勧められるまま物を買う、契約する
・地図を見ないで迷子になる
・家計把握せず買い物をする
・人の名前と人と交流した記憶を保持しないので色々失敗する
・料理はできるので生命維持はできる
仕事ではなぜかミスをしないので、クビになることはなさそうだが、今まで全部私が家でサポートしてきた。
日本ではなんとかなるが、海外生活でこれは死ぬな…と思ったのが結婚のきっかけだったと思う。今考えると己の若さと気力がすごい。2ちゃん風に言うと「奴隷乙」である。
単純に、次回以降の海外赴任ではそれがないだけだ。
夫より子供のそばに居たいし、教育費の足しにできるくらいの職にも就きたい。
夫の生活能力の無さは知ったことではないし、さすがに中高年にもなってしょうもない失敗はしないだろうと期待はしたい。
そして、もし重大な失敗をされたら離婚しても良いくらいに思っている。
その時は入り用だろうから、やっぱり定職にはついておきたいな。
ここまで書いて気がついた。私は若い頃から「お母さんごっこ」がしたかったのだろう。20代の頃までは夫を子ども役に見立てていたが、本物の子どもが来たので用済みになってしまった。そういった点では夫に対して申し訳なく思う。
しかし、もうごっこ遊びではなく本物のお母さんになったので、現実を見ていこう。
子供に安定した環境で教育を与えたいし、そのために自分の収入も増やしたいから国外転居は難しい。帯同をしてみて実感したのは「とにかく人や物の移動には金がかかる」ということだ。私が海を越えて移動しない分お金は浮くだろうし、日本から離れない分お金も増やせる。
私のこれからの人生で、夫と過ごす時間よりも大事なのは子供と過ごす時間と、彼らに貢ぐ金なのだ。
私はもう二度と海外帯同はしないし駐妻になることもないだろう。