産後メンタル×新米駐妻
先日亡くなられた方が「産後」であったことから色々憶測している意見を聞いたり、「せっかくアメリカに来たのに妻(産後)が落ち込んでいる」というバズりツイートを見て、自分の産後メンタルを思い出した。
1人目産後×新米駐妻
私が日本を出たのは産んだ赤ん坊の首がすわった頃。到着後1ヶ月は育児による睡眠不足で頭が回らず、英語が出てこないので下手に外出しても危ないと、アパートの敷地から出なかった。
頭が回らないのに加え、海外引越直後で収納すら無いところから、育児の空き時間は家の片づけで終わった。
週末は夫の運転で買い出しに行き、アメリカの生活様式にぶつかって笑ったり泣いたり感心したりしていた。そこそこ楽しくそこそこ負担だった。
赤子がまとまって眠るようになり、自分の睡眠不足もマシになってきた頃、ようやく地域の育児サークルや散歩に出かけるようになった。
ママ友デビュー
アメリカで最初に住んだのが「日本人村」だった。
引越後すぐ、1ヶ月も引きこもっていたので気がつかなかったが、周囲は日本人だらけだった。
私が子連れ外出デビューをキめる前から、私の存在は「村」の中で知られていた。
あれよあれよという間に日本人ママグループに参加していた。
最初は心強く感じていたが、次第に息苦しくなった。
『育児は孤独』という先達の話は見聞きしていたので、
「『孤独』どころか1人になりてぇ~!!」と毎日思っていた。
なにせ他に行く場所が無いので、平日は毎日ママ友に出会う。
子供は毎日くっついている。
土日も同じく他に行き場所が無いので、夫も加わって常に3人一緒にいる。
外を歩けば人種問わず子供好きな人から「oh!baby!」と話しかけられる。
『育児=孤独』というイメージがあるほどなので、私の悩みは贅沢だったかもしれないが、とにかく1人の時間が欲しかった。
1人で赤子の状態も自身の防犯も気にせず、お気に入りの場所で過ごしたかったが、それはアメリカ駐在帯同中では無理だった。そもそもお気に入りの場所もまだアメリカには無かった。
産後の楽しみ
その頃の楽しみはインターネットで日本の情報を得ることだった。
当時、節約のためテレビは日系番組を契約せず、日本の情報を得られるのはインターネットだけ。子供の頃からネットに親しんでいたのもあり、「ネット=安心感」だった。
しかし、私の性質に反して、家のネット通信を契約しなかった。物価の高いアメリカ生活において節約のつもりだった。
動画を見るわけじゃないし、携帯のパケット通信で十分。
と、平日は一日中会社でWi-Fiを使い放題の夫が判断した。
今なら「そりゃ、お前はな!!!」とハリセンをお見舞いする発言だが、当時は新生活で浮かれてそこまで気が回らなかった。
初めての育児と海外生活!心機一転ネット廃人から卒業しよう!
子供に液晶を見せない意識高いママになるんだ!!
新米ママにありがちな現実感の無い理想の育児を妄想し、私も脱インターネットに張り切ってしまったのである。
ネットを求めて三千里
それまで人生の半分以上を共にしてきたインターネット。
いきなり断つなんて土台無理な話だ。
アメリカの携帯会社と契約している数ぽっちのGBなぞ毎月すぐに使い果たしてしまう。
一度思う存分ネットサーフィンをして、とんでもないパケ代になってしまったこともあった。懐かしのパケ死である。夫にネットの使い過ぎを詫びた。現在の日本ではなかなかかけない恥だ。
次第に私はインターネットの我慢ができなくなり、フリーWi-Fiを求めて出かけるようになった。
赤子を背負って一日分の家事を済ませ、子供がそのまま昼寝をしたらパソコンを抱えて近所のフリーWi-Fiがあるコミュニティセンターに行く。
ここで思う存分日本語を楽しんだが、子供が起きたらそこで試合終了である。
ページをいくつも開いたままにしたり、スクリーンショットで保存したり…2000年代のオタク女子がパケ代を抑えながら趣味を楽しんだ方法を、2010年代のアメリカで駆使していたのは私だけかもしれない。
ネット難民生活の終焉
短くて1時間、長い時は3時間にも及んだ私とインターネットの逢瀬は当然私の体を蝕んだ。
なぜならその間ずっと重量級の我が子をだっこ紐で身に着けているからである。肩と目がとんでもないことになったが、私は我慢してきた分ネットが使えて満足だった。
この生活に陰りが見えたのは、ますます近隣に日本人の知り合いが増え、コミュニティセンターにいることが目撃されるようになった頃である。
「あそこの嫁は旦那がいない間、子供を抱えてずっとパソコンをいじっている」
そんな噂にならないように、時間と頻度を減らすことにした。
アメリカで他に楽しみを探すようになり、インターネットが使えないことも気にならなくなった。
こうして平和な形でインターネットから卒業しかけていたが、
ある日突然夫が「やっぱり家でもネットを思う存分使いたい。パケ代より安い」と言ってネットを契約してきた。私の限界ネット生活が終わった。
家にネットが開通したことでますます産後の心は安定し、毎日子供と二人きりだったが楽しんでいた。
そしてその後、馴染んだと思っていた駐妻ママグループにハブられていると自覚した時、本格的に病んだ。