日本語採集
「コニチワ!」(今、朝だけど)、「アリガト!」(何もしてあげてないけど)、「スケベ!」(失礼な!でも、どうして知ってるんだ?)、「ナマステ」(日本語じゃないだろ!)。こんな調子で狭い通りの脇に座って暇つぶしをしている若者や子供達は日本人と見ると自分の知っている限りの日本語(あるいは日本語だと思っている言葉)を並べ立てて声をかけてくるのだ。別にやましいことがあるわけでもないのに、フェズに住んで毎日のようにこの場所を通っていてもついつい身構えてしまう。ちょうど、近道しようと思ってたまたま風俗店が建ち並ぶ裏路地に入り込んでしまった時のように。
これははっきり言って疲れる。フェズに来る旅行者のほとんどがそういう輩のうっとうしさばかりを口々に訴えてフェズを後にするのにもうなずける。十数年前にモロッコを訪れた時の僕もそうだった。メディナの中は通りに面した商店を除けば通りから見えるのは建物の壁とドアだけな上に、道は迷路のように複雑だ。よほど集中して地図とにらめっこしていなければ、名所への入り口など見落としてしまう。なのに彼ら偽ガイド志願者達は「コニチワ、コニチワ、ジャパン?」などと言ってしつこくつきまとって来るくせにこちらの言うことは全く聞こうとせず、土産物屋にばかり案内しようとして、挙げ句の果てに勝手についてきたくせにガイド料を要求してくるのだ。結局彼らを振り払うのに終始して、自分の見たかった物も見れず、偽ガイドにつきまとわれたことだけがフェズという街の記憶として残る旅行者が多いのだ。
だが、この街に住んでいるからにはいつまでもそんなことにひるんではいられない。最近は僕も余裕を持って彼らに対応できるようになった。せっかく挨拶してくれているのだからと挨拶を返す。「コニチワ」→おはよう、「アリガト」→どういたしまして、「スケベ」→(相手を指差しながら)アンタ・スケベ!(アンタはアラビア語であなた♂の意)などなど。中には「コニチワサヨナラ」と自己完結する奴もいる。彼はそれから何か言ってこようとするのだが、相手がさようならと言っているのだからと僕はゆっくりと「さよなら」と言って歩き始める。彼はこれから話を始めようとしているのに、なぜ僕が手を振って去って行くのかわからないといった顔でこっちを見ている。彼は「コニチワサヨナラ」=「こんにちは」の意味だと思っているのだろう。
最近では何か新しい日本語はないかと新種の昆虫でも探すように耳をそばだてて歩いている。すると先日、「モウカリマッカ?」と声をかけられた。旅行者が教えたのだろう。それ自体はアジアなどでもよく言われるので新種とは言えない。だが、その声をかけられた場所はタラー・クビーラと呼ばれるメディナのメインストリートだったのだ。アラビア語(モロッコ方言)でタラーは坂、クビーラは大きいという意味だ。つまり大阪ではないか!なるほど、だから「モウカリマッカ」なのかと妙に感心してしまった。別に彼がそんな粋な事を思って言ったのかは知らないけれど・・・。
モロッコで聞く日本語として特徴的なものの一つに「ビンボー」がある。インド人的に言えば「ノータカイ」、つまり安いということのようだ。まだそれを知る前の事、土産物屋のおやじは店の前を通るたびに「ビンボービンボー」と声をかけてくる。失礼である!確かに僕は金持ちではないが、その辺のモロッコ人に貧乏呼ばわりされるほど貧乏なわけでもない。それを抗議しようと思って近づいて行くと、おやじは自分の言った日本語が通じて嬉しいというようにニコニコしながら「ビンボープライス、ミルダケ」と言う。どこかの日本人旅行者が持ち金が少ないという意味で「貧乏だから」と言って土産物屋のおやじの勧誘を断ったのだろう。それ以来、彼の中ではビンボー→お金が少ない→安い、という図式が出来上がってしまったに違いない。高い航空券代を払ってモロッコまで来て貧乏もないだろうに。そんな怪しい日本語を話すおやじの店に日本人は入らないだろうと思うと彼が少しかわいそうになったので、他人に貧乏というのは非礼な事だと教えてやった。彼はそれを聞いて少しびっくりしてから「それを聞いといて良かった。俺は客人である日本人に対して失礼な事をするところだった。」だったと握手を求めてきた。一部の胡散臭い奴らを除けば、モロッコ人は意外に礼儀正しいのだ。
その他に子供から声をかけられる日本語(?)で一番多いのは、「ナカタ」である。「ジャッキーシェン」(ジャッキー・チェンの事。彼らの発音ではこうなる)も多いのだが、残念ながら彼は日本人ではない。きっと何も知らないでモロッコに旅行に来た「普通の」中田さんが見ず知らずのモロッコ人に突然「中田!」と声をかけられたらびっくりするだろうと思う。こんなところまで来てどこの知り合いが?と。それにしてもサッカー選手の中田の人気はすごい。細い路地を占領してボロ布を丸めたボールでサッカーをしている子供達の脇を通ると、日本人というだけでナカタコールがかかり、できもしないサッカーをやるはめになるのだ。でも、そうやって子供達と遊んでいると、異国で生活したり旅をしたりするのに一番大切なのは言葉じゃないよなぁ、という気がするのだった。
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