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No55:8月15日は終戦記念日❣

8/15は79回目の「終戦の日」
上の写真は被爆後の「広島県産業奨励館:広島平和記念資料館所蔵」
俗に言う「原爆ドーム」。下の写真は被爆前。

この建物は、チェコ人の建築家ヤン・レツル氏の設計により,大正4年(1915年)に広島県物産陳列館として完成した。被爆後は核兵器の惨禍を伝える、核兵器の廃絶と世界の恒久の平和を訴えて続けている。


日本がポツダム宣言の受諾を最終決定したのは、玉音放送の1日前、昭和
20年(1945)8月14日だった。
犠牲者数は研究者間でも見解が異なるが、世界の第二次世界大戦の犠牲者は軍人や民間人合わせて5,000万人~8,000万人、当時の世界人口の約2.5%が犠牲になったと言われている。

先日の「徹子の部屋」のゲストは戦争の悲惨さを伝え続ける93歳の田戸サヨ子さんだった。
広島の原子爆弾が投下された被爆地に住んでいた、昭和20年8月は母姉と3人暮らしで、当時は14歳。
原爆が投下された8月6日は女学校に登校していた。
爆発の瞬間は爆心地から3.5キロの校舎の中に(机の下に隠れていた)いたため けがはなかったが、外には全身やけどで大けがをした人や死んだ人があふれていたという。
学校をあとにし爆心地から700メートルの自宅を目指して歩きだした。途中死んだ人が沢山道に横たわっていたがその間を歩いて自宅に向かった。

原爆ドーム近くにある自宅周辺にたどりついたが、周りには一切建物がなく「母は死んだ」と泣き崩れた。
その後同じく無事だった姉と再会。一緒に母を捜しに遺体で埋め尽くされた川にもおり捜し続けた。
そしてついに生きている母と避難所?で再会。しかし母は原爆の影響で8月14日に亡くなってしまったという。
田戸さんは93歳の今も当時の悲惨さを多くの人に知ってもらおうと講演を
しているそうです。

いまだに世界のどこかで戦争、紛争が続き多くの人が殺されている、日本は
終戦後は平和が続いて「平和ボケ」と言われて久しい。

岸田首相が総裁選不出馬を表明した、次は外国に媚びを売るのでは無く日本を強くしそして世界の平和に貢献できる人に是非総理になって欲しいものです。
僕の希望は「高市早苗」さんです。

先日読んだ本の中で「人は食べられ放題だった」と言う文章があった。
人類が誕生してから大型肉食動物と対峙した時人間は棒切れ位で防げ
るはずは無く多くの人が動物の犠牲になっていただろう?
と言う事。
動物園に遊びに行きました、ライオンの柵の前に来たら柵が壊されて
いてライオンが私に飛び掛かって来ました「怖い」
ここで目が覚めた「夢で良かった」こんな感じですね。

人類が誕生してから現代まで人は生まれては死んでいったわけだが
寿命を全うして死んだ人と戦争・紛争そして若くして病気・怪我で
死んだ人の割合はどうなっているのだろう?
長い歴史からみると圧倒的に寿命前に死んだ人が多いのでは?
今の世の中(日本)に生きていることに感謝❣


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