台湾に、帰りたい
こんにちは、hanaです。
これまでのnoteで、思えば自分が自己紹介をしていないということに薄々気づいていたのですが…
この機会をお借りして、私を構成する大切な1パーツである台湾について、記していければと思います。
hanaと、台湾
何を隠そう、私の名付け親は台湾人です(私は純日本人です!)。
生まれたときから台湾との縁は深く、幼稚園でも台湾人との交流の機会を設けてもらえるなど、基本的に親しみ深い存在として認識しています。
そんな私が、初めて台湾を訪れたのは高校1年生の時。
台湾が「中華民国」として捉えれば、建国100周年で日本の高校生を招待し研修旅行を行う、というものがありました。
この際に日本代表の学生大使として台湾を訪問しました。
中国語も話せず、英語だけで現地の高校生やホストファミリーと触れ合った日々は、今でも思い返すと少し笑えて、少し懐かしくなりますが、一番忘れられないのは、台湾の人々の温かさでしょう。
台湾に行った人々の中では「台湾で最も美しい風景は、まさしく人である」という言葉があるくらい、彼らは温かく、優しく寄り添ってくれました。
たった一泊のホストファミリーでも名残惜しく、涙が止まらなくなるくらい、幸せな時間を過ごすことができました。
そして、驚くべきは、それから10年近くたった今でも連絡を取り続けていることにあるでしょう。
台湾を、知る
一度目の台湾経験が忘れなくなった私は、大学で日本と台湾についてもっと知るべく、政治学の分野に進み、中国語を勉強し始めました。
政治学自体はもともと興味があるものでしたが、台湾と日本を語るに当たり、政治学や歴史学は切ってもきれないものです。
もちろん、台湾を専門とする授業があるわけではなく、アジア政治やアメリカ政治の延長線として勉強する日々でしたが、中国語の努力もかない、大学でも2度、台湾に学生大使として研修に参加しました。
その際で、なんと言っても忘れられないのが、日台青少年学生スカラシップの中国語スピーチ部門で優秀賞を獲得し、副総統とお会いしたときのことです。
台湾のトップと言える副総統とお会いする機会をいただけたことは、自分の中でも一生の忘れられない経験だったと思います。
そして、外交部の女性エリート官僚である張淑玲さんとの出会いが、人生の最大の転機になったかもしれません。
日本語でも、中国語でも、英語でも弁舌さわやかな彼女の存在はとても印象的で、そしてとても格好良かったのです。
女性の輝ける台湾、を一番感じた瞬間でもあり、彼女の一つ一つの言葉に真実を感じたからかもしれません。
日台関係の未来を信じ、今後を良くしていくように第一線で活躍する女性が、私達若者に、「あなた達が変えていくのだ」と伝えた時、心の中の何かが震えました。
「台湾がスキ!」ということは誰でも出来ることです。
中国語を勉強するということも(頑張れば)誰でもできます。
しかし、「言語を学ぶことは世界の扉を開くこと」であると言われればどうでしょうか?
台湾を、もっと多くの人々にちゃんと知ってほしい。と言われてみればどうでしょうか?
「台湾を知り、人に伝えていく」ということの責任は、3度も台湾に行くチャンスをいただけた自分ならば、当然背負わなければならないものかもしれません。
幸運にも、このチャンスを、その縁をいただけた私は、いつか恩返しをしなければならない。
こうして、私は台湾について誰よりも知っていかねばならない。と考えるようになりました。
台湾を、研究する
幸にして、私の大学には大学4年次から大学院に進学するという制度がありました。私はこの制度を利用し、大学院への進学を決め、研究対象を台湾の政党へと絞りました。
本来であれば、日台関係について研究したい、という思いも強かったのですが、日本と台湾についての研究よりも、台湾の政党、そして特に現在の政権与党である民進党の研究といえばまだまだ研究の可能性と未来がある、と思ったのです。
そして、私は慣れない研究生活をスタートさせました。
これまでnoteで記したとおり、文系大学院生というものは、社会的にも肩身の狭いものであり、周りの友人が就活をする中で、就職をし、働いている中で自分は研究の扉を押し開こうとしては開けない、という日々を繰り返していました。
自分自身の才能の無さに涙を流し、先生からの質問には答えられず、同期の友人や先輩たちの議論レベルの高さに頭がおかしくなる…そんな生活でした。
文字通り、一睡もしない夜を重ね、血を吐くような努力で読書をして追いつこうとした日々もありました。
その結果、台湾の大学への留学のチャンスが、私に巡ってくることとなりました。
1年間、私は台湾の国立政治大学に留学しました。この日々で、自分自身は「台湾しか見てこなかった」ということを深く思い知らされました。
台湾での研究のトレンド、アメリカでの研究のトレンド、そして日本での研究手法…それぞれの違いにも悩まされたり、「台湾の政党研究、とくに民進党の研究なんて!無理だよ!」と現地の人に笑われたこともありました。
私はちょっと台湾に詳しい日本人というだけで、誰にも相手にされてないのではないか…。そう思うこともありましたが、台湾で選挙を目の当たりにできたこと、台湾で出会った日本人・台湾人・その他の外国籍の友人たちの視野の広さと野望の大きさに圧倒されることで、自分自身がさらに成長をしていったように思います。
台湾と、つながる。
留学が終わり、帰国した私の一番の感情は「台湾に帰りたい!」でした。
こうしてはいられない。今すぐ台湾に戻って、台湾と日本のために働きたい!とずっと考えていました。
そのためには修士論文を仕上げなければならないし、台湾と日本のために「どうやって」働くか、も決めなければならない。
その結果、私は就職活動というものをしてみることとしました。
それが、結果的に正解だったかはわかりません。ただ、わたしは一年目から海外に赴任する、ということができる会社に強く惹かれ、「速く戻りたい、この国を良くしたい」という思いから、内定を承諾することとなったのです。
その間にも、たくさんの日本人と、そして台湾人と出会いました。台湾を憂う者、香港と台湾を重ねる者、台湾に強いあこがれを抱く者…それぞれが「台湾」に夢を持ち、そして日本とのつながりに心を熱くしていました。
修士論文も、かなり苦労しましたが、書き上げることに成功しました。
台湾と日本、そして世界とつながる自分でありたいと強く思い、社会人になる日を心待ちにしていました。
夢、やぶれる
2019年末から、不穏なニュースが現れはじめました。コロナの登場です。
中国で現れたこのウイルスから、自分は台湾に行かせてもらえるのだろうか…希望しても赴任ができないこともあるかもしれないのかな?
まだ良く見えていない自分がいました。
コロナはまたたく間に広がり、私の夢をも、影で覆い尽くすこととなりました。海外に行きたい、日本と世界をつなげたい。そんな甘い夢はいつの間にか、打ち砕かれてしまったのです。
私は、台湾にただ戻りたかっただけでした。
卒業旅行も、もちろん台湾に行くつもりでした。
(ちなみに総統選で敗北した国民党候補が市長を務めることで有名な高雄市に行くつもりでした。)
行きの飛行機がキャンセルになったことがダメ押しとなり、それもすべてキャンセル。
配属は日本に決定しましたが、そもそも海外と繋がれる立場になるかもわからない、そんな状況になってしまいました。
台湾へ、帰りたい。
これで良かったのか…。
私は、ここにいて良いのか。
今ずっと、ずっと悩んで、立ち止まってしまいます。
そんな私ができることは、書くことですし、より良く世界のことを知ることくらいしか無いでしょう。
社会人らしい振る舞いは一度もできず、同調圧力に押しつぶされそうですが、私は書き続けます。
それでも最後は、台湾に帰りたい。その気持ちだけしか無いのです。
どうか、コロナよ、落ち着いて。
そして、チャンスを逃しませんように。
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