女だから。
ふと、SNSを見たときのこと。
小学校時代の幼馴染の投稿だった。
楽しそうに笑っていて、どうやら家業を継げたらしい報告があった。
楽しそうだし、いいねも多い。
でも私はそれを見てそっと閉じてスマホを閉じ、投げ出した。ちょっぴり傷ついた。
…すこしでも男子はいいなぁと思う自分が、嫌でたまらなかった。
別に実家に家業は無い。
そんな私でも、なりたかったものはある。
結婚し、子供を生むことで幸せを掴むのか。
叶えるために、お金が必要で、いつどうなるかわからない人生を歩み、自分一人で生きていくのか。
悩めなかった。
女子だからなのか。私が勇気がないからこそ余計に叶えられないものでもあった。
好きな人ができて、結婚したら私のやりたいことなんて優先できないのは明白だった。
三姉妹で、三番目の私だ。
別に母はおおっぴらには肯定しないが、三人連続で女子だったときの悲しみを私は知っている。
何度も、
だからこそ、今はきっと「普通に生き、誰かと幸せな家庭を築く」事の大切さだけを受け入れなければならないのかもしれない。
でも、それでも、学生時代の自分を振り返ると悲しくなる。
高校生までは成績で評価された。
成績が良ければ褒めてもらえたし、未来も広がっていると思った。
名前も覚えられてるし、「女子なのに」なんていう古い価値観と枕詞で先生に注目してもらえた。
しかし、進路選択が迫るたびにその素敵な輝かしい自分は影を落としていった。
そもそも、人生にも結局ある程度の制限があるもので、「家のため、家庭のため…血を絶やさない」、そんな古い思想もどこかには残っているようだった。
もともと私も家庭でそのような教育を受けていたから、私の人生への制限は思ったよりも多かった。
できることなら、こんなに頑張らなければよかったのかもしれない。
こんな人生ならば、荻野吟子や生沢クノが羨ましく、益々遠い存在に感じる。
私も諦めずに大学院を博士まで進めばよかったのだろうか。
でも、何歳で博論を書くかもわからない生活で婚期も逃すのかもしれない。
そんな社会に出れるかもわからないバクチを打つ自信がなかった。
だからこそいま、ただの社会人を一度経験するためにこうして飛び出したはずだった。
…そうして冒頭の出来事に戻る。
私はフェミニストとして一石を投じたいわけでもなく、
ただ悲しくなって記しているだけだ。
それでも、チャンスをたくさん捨ててきた自分には嫌気が差すし、それを言い訳がましくつらつら書いていることも自覚している。
それでも、それでもだ。
口癖が「次の人生では…」になってはいけないのだ。
後悔しないために沢山やりたいことをやってもいい。
制限があるからと、次の世代に圧をかけたくもない。
今の私は、私なのだ。
もしかしたら、この文章が誰かの目にとまり、何かを感じるかもしれない。
そうすれば、私は少しでも生きた価値が、あるのかもしれない。
こんな人生の人間もいるのだと、知る人がいるのかもしれない。
鬱々とした空気のだとどうしてもこんなため息も出てしまう。そんなため息を、そっとnoteに記すことにする。